イタリアの世界遺産候補「サルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)」とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2), (3), (6)
申請年(暫定リストに記載)2021年

イタリア半島の西に浮かぶサルディーニャ島は歴史が深い地として有名で、ここは紀元前5000年代から紀元前3000年代に渡って「妖精の家」と呼ばれる部屋のような岩窟墓が築かれました。その技術から高度な文明が存在していたことを示します。

ここではサルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ドムス・デ・ヤナスについて詳しくなること間違なし!

目次

サルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)とは?

サルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)
画像素材:shutterstock

サルデーニャ島は、地中海ではシチリア島に次ぐ大きな島で、その歴史は新石器時代に遡ります。かつてサルデーニャの人々は、ヌラーゲ人と呼ばれ、島ではヌラーゲ文明(紀元前18世紀頃から紀元前3世紀頃まで)を築き、今でもピラミッド状の要塞ヌラーゲが点在。実はサルデーニャには先史時代からヨーロッパから移動してきた民族が暮らしいて、ボヌ・イギヌ文化(紀元前5100年〜紀元前4500年)、サン・チリアコ文化(紀元前4500頃〜紀元前4000年頃)、オジエリ文化(紀元前3200年〜紀元前2800年)といった、中期石器時代から鉄器時代、青銅器時代にいたるまで、ドムス・デ・ヤナスという地下墳墓が築かれました。

登録された構成遺産だけでも35箇所もあり、内部構造は三角形や円錐状など、さまざまな形状があります。この地の地下墓所はヨーロッパの先史時代でも早い時期のもので、螺旋や縞模様、牛の角など、さまざまなモチーフが見られ、その建築法も含め、他では見られない独特のもの。その不思議な空間は、後世では「妖精の家(ドムス・デ・ヤナス)」と呼ばれ、島の人々によく知られる存在でした。

サルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

サルデーニャ島の先史時代の芸術と建築(ドムス・デ・ヤナス)
画像素材:shutterstock

ドムス・デ・ヤナスが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀元前5000年代から紀元前3000年代のヌラーゲ文明以前の特徴である、記念碑と装飾芸術は、島に住む人々と地下墓所のシステムを持つヨーロッパ大陸で暮らしていた人々の巨石文明の相互作用と交流が見られるという点。

登録基準(iii)
構成遺産は、中期石器時代から鉄器時代、青銅器時代までの長い期間のサルデーニャ島の文化が見られ、ヨーロッパの先史時代の文明よりも地下墓所は早く出現し、その数から高いレベルの芸術であったということ。

登録基準(vi)
ドムス・デ・ヤナスは、島では「妖精の家」と呼ばれていたというほどに親しまれ、それは14世紀頃のサルデーニャ語の文献にも記載があり、歴史や考古学的価値だけでなく、この地域のアイデンティティでもあるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ドムス・デ・ヤナスは、先史時代のヨーロッパの埋葬文化と島の人々の交流を示す一方、独特の要素があるというのが特徴で、後世になると島のアイデンティティにも繋がったという点で評価されています。

ちなみに、古代エジプトの建築物には「偽扉」という、開かない扉のような装飾があるのですが、それは紀元前33世紀のオジエリ文化の時代から見られるため、ドムス・デ・ヤナスはそれよりも古い可能性があり、恐ろしいほどに古くから文明が発達していたということがよく分かります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次