登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3),(4),(6) |
登録年 | 2001年 |
マサダは死海を見下ろす丘の上にある要塞だった場所。かつてヘロデ朝の離宮として作られたもので、西暦73年にローマ軍により破壊された遺跡です。現在でも遺構などが多く残っており、ローマ時代初期の建築様式が現在でも見られます。
ここでは、マサダがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マサダについて詳しくなること間違いなし!
マサダとは?
イスラエル東部にある死海。マサダは死海に面した崖の上に立つ宮殿兼要塞だった場所。麓から丘の上までは道は一本だけという天然の要塞でした。もともとは、紀元前2世紀にヘロデ朝のヘロデ大王が、ローマ様式の豪華な宮殿を建設したことに始まり、この地がローマ帝国の属州になった後、ユダヤ戦争(66〜73年)の際は難攻不落の要塞として、ユダヤ側からすれば「最後の砦」となったのです。
ローマ軍は、周囲を包囲したものの、なかなか落とすことができず、最終的に崖の間に土を入れて埋めて、2年がかりで陥落させようとしました。しかし、敗北すると奴隷にされるというのが当時の風習で、籠城していたユダヤ人はほぼ全員が死を選んだのです。
こうしてローマ軍とユダヤ人との戦争は終わったものの、この地はユダヤ人にとってシンボル的存在となっていったのです。現在のイスラエル国防軍将校団の入隊式は、この遺跡で行われ、卒業生は「マサダは二度と陥落せず」と唱和するほど。
とはいえ、マサダは遺跡としての価値も高く、ヘロデ大王の宮殿は、ローマ時代の非常に完成度の高い宮殿であったということも分かっています。そして、宮殿にはテラスの跡も残っており、優れた建築デザインでした。今でもテラスからは死海が一望できます。周囲は砂漠で非常に乾燥した地帯ではありますが、給水システムはしっかりと整備されていました。なんと1日の雨で2〜3年間1000人暮らすことができたと考えられるのです。
マサダはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
マサダが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
マサダの存在は、ユダヤの王国とユダヤ戦争の跡、そして後にディアスポラ(民族離散)のシンボルとなったという点。
登録基準(iv)
要塞を含み、ヘロデ大王の宮殿は初期のローマ帝国の離宮として優れた例であったということ。
登録基準(vi)
マサダ要塞の陥落はユダヤ人にとって文化的なアイデンティティとなっているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
天然の要塞としてかなり軍事的なイメージがあり、実際にユダヤ戦争時は大活躍したのですが、ヘロデ大王の離宮としてテラス付きの華やかな宮殿跡が残っているというのも評価のポイント。遺跡としても優秀ですが、なんといってもユダヤ人にとっては、「忘れてはいけない民族としての記憶」として存在しているのです。
こう書くと他民族は近づいちゃいけないような雰囲気を感じるでしょうが、実は麓からロープウェーが出ており、お金さえ払えば山頂まではあっという間。もちろん「観光地」としても楽しめるのでご安心を。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。