登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (6) |
登録年 | 1991年 |
インド洋に浮かぶモザンビーク島は、アラビア商人やポルトガルのインド洋貿易の拠点となった島。ここは交易により東西の文化が入り交じる都市で、島にはアラビアやポルトガルの影響を受けた歴史的建造物が並び、ポルトガル統治時代の要塞や教会などが今でも残っています。
ここではモザンビーク島がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、モザンビーク島について詳しくなること間違いなし!
モザンビーク島とは?
モザンビーク島は、モザンビーク共和国の北東部、大陸の海岸から約4kmの距離にある石灰岩のサンゴ礁で構成される島。そもそもモザンビークという国名はこの「モザンビーク」から由来。大陸とは1960年に建造された橋と繋がっています。
ここは10世紀からアラビア商人が金を求めてこの地を訪れ、インド洋貿易の拠点としていました。町はアラビア商人によって建造され、造船所なども設置。1498年にポルトガルの探検家であるヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路開拓のために訪れた後、16世紀にポルトガル領となりました。この島は首府として19世紀後半まで繁栄が続きましたが、スエズ運河が開通すると島は衰退し、1899年に首都はマプトに移転。
旧市街は北側に位置していて、アラビアやヨーロッパの建築の影響を受けた石灰岩の白い町並みは今でも現役。そして、ポルトガル植民地時代に築かれたサン・セバスティアン要塞や教会などが残っています。
登録されている主な構成資産
サン・セバスティアン要塞
島の北端に位置する要塞で、ポルトガル人がこの地に入植すると16世紀から50年かけて建造されました。この辺り一帯の建築物はサハラ以南のアフリカでは最初のヨーロッパの建築物とされるほどに歴史の深いもの。
ノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂
サン・セバスティアン要塞の東側に位置する教会跡。ここは要塞よりも以前に作られ、当時ポルトガルで流行していたマヌエル様式の建造物でもありました。
モザンビーク島はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
モザンビーク島が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
モザンビーク島に残る建造物は現地の伝統とポルトガル、アラビアなどの建築様式を合わせて作られたという点。
登録基準(vi)
この島は、西ヨーロッパとインド、アジアなど、ポルトガル海上帝国の交易ルートの基点と発展を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
モザンビーク島は、ポルトガルの交易ルートの発展を示すものであるという点で評価されています。そして、島に残る建造物はかつて交易していたアラビアとここを支配していたポルトガルなどの建築様式が組み合わされたもので、現在も独特の町並みが残るというのもポイント。
ちなみに、織田信長の黒人の家臣として有名な弥助の出身地はモザンビークという記録があります。これもインド経由の航路で日本へと連れて来られたとされていて、もしかしたらこの島で生まれたのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。