登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2021年 |
かつてドイツ中部からオランダの北海沿岸まで、ローマ帝国の国境線がライン川の左岸を約400kmに渡って続いていました。ここはローマ帝国の属州ゲルマニア・インフェリオルの領土だった場所で、北方のゲルマン人を牽制するために、要塞や塔、港、集落、宗教施設などが国境線沿いに点在していましたが、ほとんどが地下に埋没してしまいました。しかし、結果的に保存状態は良好に。
ここではローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゲルマニア・インフェリオルのリーメスについて詳しくなること間違いなし!
ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメスとは?
リーメスはラテン語で「国境」を示すもの。現在ではおもに長城を示すことが多い傾向にあります。現在のオランダ・ドイツにまたがる遺産となっていて、南はドイツ中部の都市ボン付近からライン川の左岸に沿って、北海沿岸までローマ帝国の国境線が約400kmも続いていました。ここは紀元前1世紀から450年以上にも渡って、帝国の辺境の地であり、ゲルマン人が住んでいた領土を侵攻するためにさまざまな施設が作られていきました。そして、ライン川の左岸には軍事施設が多く建造され、現在は44箇所102の構成資産が登録されています。
これらはローマの技術者たちによって築かれた優れた建築物で、当時の軍事工学の発展が見られるもの。しかし、5世紀ころに帝国が崩壊すると使用されなくなり、現在は地中に埋もれてしまったのです。
ローマ帝国の国境線-ゲルマニア・インフェリオルのリーメスはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ゲルマニア・インフェリオルのリーメスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
国境沿いの軍事施設は、ローマからの文化交流を示し、その地域に住む住民の建築や生活習慣などに大きな変化をもたらしたという点。
登録基準(iii)
かつてはこのエリアは、ローマ帝国北西の国境であり、ローマの文化と伝統が見られ、国境沿いのローマ人の兵士とその家族の暮らしも分かるということ。
登録基準(iv)
ローマの国境線に沿って軍事施設が開発され、それぞれ伝統的な素材などが使用され、水利施設といった高度な技術が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ローマ帝国の北西部に国境が築かれることによって、ここに帝国中央部から軍人とともに高い建築技術が持ち込まれ、彼らが生活することを目的としていたものの、この地にローマ人の文化が持ち込まれました。そして、それが文化交流を生み、この地域の生活に大きな変化を与えたというのもポイント。
ちなみに、「ゲルマン人」と一言でいうけど、中央ヨーロッパからスカンジナビア半島の手前に住んでいた民族集団を指すのであって、じゃあ、ゲルマン人ってどんな民族か?と指すと難しいもの。イングランド人の祖先であるアングロ・サクソン人もいれば、一部はケルト系の民族もいたし、ヴァイキングとして有名なノルマン人もゲルマン人の一派であるので、一言で説明するのが難しい民族でもあるのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。