登録区分 | 文化遺産 危機遺産2012〜2021年 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2004年(2021年登録抹消) |
リヴァプールは、海商都市とされるだけあって18〜19世紀の世界の主要な貿易港としての町並みが残っています。しかし、ウォーターフロント開発計画などの再開発により、景観の保護が損なわれるとされ、2021年には登録抹消されてしまいました。
ここでは海商都市リヴァプールがなぜ世界遺産に選ばれ、そして、なぜ登録抹消されたのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、海商都市リヴァプールについて詳しくなること間違いなし!
海商都市リヴァプールとは?
イングランドの中西部にあるリヴァプールは、もともとは小さな港町でしたが、17世紀になると商業都市として急成長し、やがて18〜19世紀には三角貿易の拠点として大いに発展。三角貿易とは、イギリスからアフリカへ繊維や武器を売り、アフリカからカリブ海へ奴隷を売り、最終的にカリブ海で砂糖や綿花などをイギリスへ持ち帰るという、イギリスの当時の貿易方針。
ここは造船所や倉庫街、公共施設、商業地区など6つのエリアが登録されていて、これらは大英帝国の発展に重要な役割を果たしたという点で評価されていました。
なぜ海商都市リヴァプールは登録抹消されてしまったのか?
リヴァプールは、約50万人も住む大都市で、港湾施設や歴史的な町並みは残っているものの、再開発によって現代建築が多く見られるようになると、2012年には危機遺産に登録されてしまいます。その後も、当時進められていたウォーターフロント開発計画はかなり現代的であり、歴史的背景を含めての改修が意識されていないと、世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が指摘。
2021年の世界遺産委員会では、登録抹消の審議が行われ、イギリスは文科相自ら説明をするものの、ICOMOSはリヴァプールは「ジェントリフィケーション(紳士化)」が発生していると指摘しました。これは再開発によって古い建物に比較的収入が高い住民が住むという現象で、街を愛する気持ちがなくなると危惧。よって、リヴァプールは世界遺産リストから外されてしまったのです。
海商都市リヴァプールはどんな理由で世界遺産に登録されていたの?
海商都市リヴァプールが評価されていたのが、以下の点。
登録基準(ii)
リヴァプールは、18世紀〜20世紀初頭まで、船渠(ドック)の建設や港の管理において、革新的な技術が見られ、それが大英帝国内の交易に大きく貢献したという点。
登録基準(iii)
リヴァプールは、1807年に廃止されるまで奴隷貿易の中心地で、北ヨーロッパからアメリカへ移民を送り出す貿易港であり、大英帝国の繁栄に貢献してきたということ。
登録基準(iv)
リヴァプールは、大英帝国全体の交易と文化の発展を示し、世界の海商都市でも優れた例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
リヴァプールは、大英帝国の発展を支えた湾岸施設が残り、街の繁栄が見られる施設は、どれも保存状態も良かったのですが、結局、住民たちの暮らしやすくなるような都市開発を優先してしまい、世界遺産リストから外されてしまいました。冷静に考えれば、住民が暮らしやすいようにするのは、行政としては当たり前のことなのですが…世界遺産に登録されてしまうと、開発の塩梅がかなり難しいということですね。
そして、個人的に思うのが、リヴァプールの価値は一つの建築物ではなく、「全体を含めて」の価値であったというのがまずかったと思います。つまり、世界遺産でありがちな「景観」の保護となると、どこまで開発していいか分からなくなるというがリアルではないでしょうか。まぁ、今後の世界遺産に登録しようとする自治体にとっては良い例になったとは思いますが…難しいところですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。