登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2000年 |
ウズベキスタン南東部にあるシャフリサブスは、14世紀に中央アジアからイランまで支配する大帝国を築いたティムールの生まれ故郷だった場所。ここは首都サマルカンドに匹敵するほどに美しい建造物が多く築かれましたが、16世紀にブハラ・ハン国のアブドゥール・ハンによって破壊されたため、現在は遺構のみが残っています。
ここではシャフリサブス歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャフリサブスについて詳しくなること間違いなし!
シャフリサブス歴史地区とは?
ウズベキスタン南東部にあるシャフリサブスは、かつてはキシュ(「心休まる場所」という意味)と呼ばれ、シルクロードで繁栄した都市。2000年以上の歴史を持ち、この地方の中心都市でした。ここは14世紀末に中央アジアとイランにかけての大帝国・ティムール朝(1370〜1507年)を築いたティムールの生まれ故郷(正確には近郊の村)としても有名。
ティムール朝の首都は北にあるサマルカンドではあるものの、彼はこの地に思い入れがあったということもあり、帝国第2の都市になりました。サマルカンドに負けないほどに豪華な建造物や廟が建造されたましたが、16世紀にブハラ・ハン国(1500〜1920年)のアブドゥール・ハンによって破壊されてしまい、現在の旧市街は一部の建造物や遺構が残るだけ。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産)
現在のシャフリサブスは観光地として期待されていて、世界遺産に登録されているエリアは、コンクリートなどを敷き詰めた公園風に整備されたりと、過度な開発が進められているため、危機遺産に登録。
登録されている構成資産
アクサライ宮殿
街のシンボル的存在で、15世紀初期に完成したティムールの夏の王宮で、帝国でも最大の大きさを誇る建造物でした。ここはホラズム地方の職人を集めて建造し、50mほどの塔を持つほどに豪華な宮殿であったものの、現在は2つの塔が残る程度ですが、今も青色のタイルと装飾が残っていて当時の名残が見られます。
ドルッテイロヴァット(瞑想の家)
15世紀にティムールの孫であるウルグ・ベクが建造した複合施設で、もともとはティムールの父のタラガイの墓所やウルグ・ベクの父シャー・ルフを偲ぶために建造した金曜モスク、そして、彼の一族の墓所などが集まったもの。
ジャハーンギール廟
ジャハーンギールとは、ティムールのお気に入りの王子でしたが、彼よりも先に亡くなったため、ティムールは14世紀末に彼のために霊廟を建造。隣のモスクは、イランで崇拝されたイマーム・ハザーリーの墓という伝承があります。
ティムールの墓
ジャハーンギール廟の近くにある地下室。ここは1943年に発見されたもので、一枚岩で築かれた石棺が置かれています。しかし、実際のティムールの霊廟は古くからサマルカンドにあり、彼の遺体も確認されているため、ここは「ティムールの墓」の伝承と似てはいるのですが、根拠はあまりないというのが実態。
シャフリサブス歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
シャフリサブスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
シャフリサブス歴史地区は、かつて中央アジアにおいて文化や政治的にも重要な都市で、遺構からは優れた建造物が多く存在していたということを証明するということ。
登録基準(iv)
シャフリサブスは、アクサライ宮殿やティムールの墓があり、この地域の建造物に大きく影響を与えたものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
現在のシャフリサブスには、かつての栄光の建造物はあまり残っていないもの、ティムール朝時代は文化や政治的にも需要な都市で、これらの遺構はその時代の名残が見られ、職人たちが築いた最高の作品は周囲の建造物に大きな影響を与えたという点で評価されています。
アクサライ宮殿の左の塔には「スルタンはアラーの影である」と書かれ、右の塔には「スルタンは影である」と書かれていたため「アラー」がなかったことに激怒したティムールは職人を門の上から投げ落としたという恐ろしい伝説が残っています。…他にもティムールは、気に入らない人物を高いところから投げ落とすという伝説があり、怒らせると恐ろしい人物だった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。