登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2),(3),(4),(5),(6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2007年 |
飛鳥京跡苑池(あすかきょうえんあとち)は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産の一つ。ここは日本初の本格的な宮廷庭園とされ、現在でもその構造が残っています。ところで、飛鳥京跡苑池はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここでは飛鳥京跡苑池がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、飛鳥京跡苑池について詳しくなること間違なし!
飛鳥京跡苑池とは?

奈良県明日香村にある、飛鳥時代の庭園跡。飛鳥川の右岸、飛鳥京の北西に位置しています。飛鳥時代に建造された苑池(庭園の池)であり、斉明天皇(594〜661年)が外国使節を歓待する場として使用されていたと考えられるもの。遺構からは、人工的に掘られた池や、石組み、水路、橋の跡が見つかり、高度な造園技術が用いられていたことがわかっています。
7世紀中頃に建造され、7世紀後期に改修され、9世紀まで維持されていたものの、10世紀には埋没してしまいました。そして、1999年の発掘調査にてその存在が確認されます。池は北と南にあり、南池の規模は南北約55m、東西65mと広大で、中島があり、テラス状のコテージがありました。北側では2019年に水祭祀遺跡が発掘され、ここは庭園としての役割以外があったとも考えられます。
飛鳥京跡苑池はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?



日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2007年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
登録基準(v)
伝統的集落や人類と環境の交流の見本
登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術
世界遺産マニアの結論と感想
遺構からは、中国や朝鮮半島から伝わった庭園文化の影響を受けつつも、日本独自の様式も取り入れられていて、飛鳥時代の国際交流や文化の発展が見られるのが特徴です。
ちなみに、斉明天皇の時代に白村江の戦いで唐と新羅の連合軍と戦いました。新羅と対立していた百済の王子も日本に滞在していたということもあり、非常に交流が深かったのです。その弟は百済王氏(くだらのこにきしうじ)という名前を朝廷から与えられ、その子孫は日本で暮らしたというほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。