登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1992年 |
バンテアイ・スレイは「アンコール遺跡」の構成資産の一つ。「女の砦」という意味もあり、「東洋のモナリザ」と称される女神デヴァター像があることでも有名。ところで、バンテアイ・スレイはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではバンテアイ・スレイがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バンテアイ・スレイについて詳しくなること間違いなし!
バンテアイ・スレイとは?
アンコール・ワットから北東に約30kmの位置にある遺跡。ここはアンコール王朝(802〜1431年)の初期に建造されたもので、古くから王朝発祥の地とされていて、聖地でもありました。アンコール遺跡でも他に比べて建造が古く、アンコール朝初期の10世紀に建造されたヒンドゥー教寺院。
バンテアイ・スレイとはクメール語で「女の砦」を意味する寺院で、建物の素材はラテライトと赤の砂岩なので全体的に紅色となっています。ここは王族ではなく、ジャヤーヴァルマン5世(969〜1001年)の師匠でもあったジャニャヴァラーハとその弟によって建造されたもの。
東側に参道があり、シヴァ神の化身であるリンガをイメージした石柱が並んでいます。三層にもある周壁で囲まれていて、中央祠堂にはヴィシュヌ神やハヌマーン、ガルーダなど、ヒンドゥー教の神々が刻まれているのが特徴。
デヴァター像(東洋のモナ・リザ)
中央祠堂のレリーフの一つ、女神デヴァター像はバンテアイ・スレイを象徴するもの。高さ約1mの小さな彫像ではありますが、女神が浮き上がるように刻まれていて「東洋のモナリザ」と言われるほどに美しい曲線が見られます。
バンテアイ・スレイはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バンテアイ・スレイが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アンコール遺跡は、アンコールワット、バイヨン寺院、パンテアイ・スレイなど、9〜15世紀までのクメール美術の傑作が見られるということ。
登録基準(ii)
アンコールで発展したクメール美術は、東南アジア全域で影響を与え、各地で独自に発展していったという点。
登録基準(iii)
密林に残る遺跡は9〜15世紀に東南アジアの大部分を支配したクメール王朝の存在を示しているということ。
登録基準(iv)
クメール様式の建築は、各地で独特の進化を遂げ、結果的に東南アジアの建築と美術の新しい様式を生み出していったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
バンテアイ・スレイは、アンコール王朝の初期に築かれたクメール美術の傑作であり、ここで確立された建築様式は東南アジア各地で普及していったという点で評価されています。
ちなみに、1923年にはフランス人作家であり、冒険家でもあるアンドレ・マルロー(1901〜1976年)がデヴァター像を盗むという事件が発生し、禁錮1年半の判決を受けてしまいました。それもあるのか、デヴァター像のある中央祠堂は今は立ち入り禁止で、今では東洋のモナリザは遠くから眺めるしかないのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。