京都府の世界遺産「醍醐寺」とは?その歴史を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

醍醐寺は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。16世紀に豊臣秀吉によって「醍醐の花見」が行われたことで有名で、歴史的建造物も多く残ります。ところで、醍醐寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは醍醐寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、醍醐寺について詳しくなること間違いなし!

目次

醍醐寺とは?その歴史とは?

醍醐寺
画像素材:shutterstock

京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山。ここは空海の孫弟子にあたる聖宝(しょうぼう)によって、874年に開山しました。山頂付近は「上醍醐」と呼ばれ、修験者の霊場として発展し、904年から山の麓にある平地には大伽藍である「下醍醐」が整備されていきます。しかし、応仁の乱(1466〜1467年)によって下醍醐は荒廃。

安土桃山時代に豊臣秀吉によって花見を行うために、下醍醐の三宝院などを中心に伽藍が再建され、1598年に醍醐の花見が開催されました。入母屋造本瓦葺きの金堂は、1598年に秀吉によって紀伊(現在の和歌山県と三重県西部)から移築されたもので、桃山時代の手法が見られますが、平安時代の部分も残ります。他にも平安時代後期の951年に完成した五重塔は、何度も修復されたものの、建設当時から現存しているという貴重な建造物。

醍醐寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

五重塔/醍醐寺
画像素材:shutterstock

醍醐寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

醍醐寺は花見で有名なものの、実は9世紀からの歴史を誇り、現在も残る金堂や五重塔は仏教建築の発展が見られるという点で評価されています。

ちなみに、醍醐の花見は、秀吉と良好な関係であり、彼の死期が近づいていると悟った義演(ぎえん)によって、その最後の舞台として実現されたもので、実際に秀吉をテーマとしたドラマの最後は大体このエピソードが登場します。桜のように華やかに散りたいという日本人らしさを感じますね。…実際に亡くなったのは夏でしたが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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