登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1998年 |
平城宮(へいじょうきゅう)跡は「古都奈良の文化財」の構成資産の一つ。ここはかつて平城京の中でも天皇が住む場所で政庁が置かれていましたが、どんな理由で平城宮跡は世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは平城宮跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平城宮跡について詳しくなること間違いなし!
平城宮跡とは?
平城京でも北端に位置する宮城は、天皇が暮らす私的空間である「内裏(だいり)」があり、行政施設や行事を行う「朝堂院(ちょうどういん)」などが置かれていました。ここは大垣で囲まれていて、合計で12の門があったとされています。しかし、784年に長岡京へと遷都すると、やがて農地となってしまい、本格的な調査が始まったのは大正時代以降。
現在は正門である「朱雀門」や、高御座(たかみくら、天皇の玉座)が置かれ、儀式が行われた「第1次大極院殿」などが、奈良建都1300年に当たる2010年に合わせて復元。朱雀大路など当時の区画や建物の配置が分かるような歴史公園として整備されています。ここで発見された木簡は当時の文化や風習などが分かるという点で貴重なもの。
東院庭園は、かつての宴遊施設であり、日本庭園のルーツであるとも考えられています。現在は研究によって再建されていて、正殿や橋なども含めて、当時の雰囲気が分かるように整備。
平城宮跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
平城宮跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
古都奈良の文化財は、中国や朝鮮半島との文化的な繋がりが見られ、深い影響を与えられつつ、日本の建築と芸術が当時としては高い水準に達していたということを示すという点。
登録基準(iii)
現在残る建築物や遺構からは平城京が首都であった時代に日本独自の文化が開花したということを証明しているということ。
登録基準(iv)
平城京跡と奈良に残る建造物は、アジアの最初期における国家の首都の都市計画と建造物の優れた例であるという点。
登録基準(vi)
奈良の仏教寺院と神社は、山や森を神格化するという日本独自の神道思想などが見られ、これは今でも日本人精神に残っていて、宗教的な文化を継承し続けているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
かつての唐の首都にあった長安城をモチーフにして築かれた平城宮は、現在は遺構のみですが、ここからは中国の都市設計の影響を受け、古代のアジアの歴史においても優れた都市計画が見られるという点で評価されています。
ちなみに、大極殿に「第1次」がつくのは、740年に一時的に現在の京都にある恭仁京(くにきょう)へと遷都するまで存在した大極殿であるため。745年以降は新たに第2次大極殿が建てられたためにこのように呼ばれています。しかし、第2次大極殿はまだ再現されておらず、土台が残るだけ…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。