奈良県の世界遺産「法起寺」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4), (6)
登録年1993年

法起寺(ほうきじ)は「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産の一つ。世界遺産として登録されているのは8世紀から残る、世界最古の三重塔です。ところで、法起寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは法起寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、法起寺について詳しくなること間違いなし!

目次

法起寺とは?

法起寺
画像素材:写真AC

法隆寺から北東へ約1.5kmにある、聖徳太子建立と伝わる七大寺の一つ。とはいえ、実際の創建は638年と太子の没後とされ、太子の息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)が開基とされています。奈良時代には大いに栄えた寺院だったものの、平安時代以降は法隆寺の傘下に入り、鎌倉時代や室町時代までは勢力を維持するものの、江戸時代には当時の建造物は三重塔だけとなります。法起寺として再び独立するのは明治時代以降。

境内には三重塔以外の建造物は残っていないため、世界遺産に登録されているのは高さ24mの三重塔のみ。実は、着工の年月でいえば、706年頃と法隆寺の五重塔よりも古いとされています(ただし、完成は法隆寺の五重塔のほうが早かったとされることも)。

法起寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

法起寺
画像素材:写真AC

法起寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
(法隆寺は)世界最古の木造建築であり、設計と装飾においても傑作であるという点。

登録基準(ii)
日本でも初期の仏教建築であり、その後の寺院建築に大きな影響を与えているということ。

登録基準(iv)
法隆寺は中国から渡来した仏教建築が日本の文化に適応して、日本独自の建築様式を発展させていったことを示すという点。

登録基準(vi)
聖徳太子による仏教の奨励は、日本における宗教史において重要な段階であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

法起寺は、太子の息子である山背大兄王ゆかりの寺で、登録されているのは世界最古の三重塔だけではありますが、これは日本でも最初期の仏教建築であり、その後の奈良や京都の三重塔のモデルとなったという点で評価されています。

ちなみに、山背大兄王は太子の息子であるのに歴史の人物としてあまりイメージがないのは、従兄弟でもあり、当時の有力者である蘇我入鹿によって殺害されてしまったから。その後、太子の一家は政治の舞台から姿を消すという悲しい歴史があるのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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