奈良県の世界遺産「興福寺」とは?五重塔を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(4),(6)
登録年1998年

興福寺は「古都奈良の文化財」の構成遺産の一つ。古くから藤原氏ゆかりの氏寺であり、五重塔でも有名ですね。ところでどんな理由で興福寺は世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは興福寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、興福寺について詳しくなること間違いなし!

目次

興福寺とは?

興福寺
画像素材:shutterstock

もともとは669年に現在の京都市で創建された山階寺(やましなでら)が起源。その後、藤原京へと移り、710年に平城京へと遷都と同時に、当時の権力者であった藤原不比等によって移築され、藤原氏の氏寺となり、奈良時代から平安時代にかけて大いに繁栄しました。

しかし、平安時代末期に伽藍は消失。現存する建築物は鎌倉時代以降のもので、国宝の建築物としては東金堂、五重塔、北円堂、三重塔の4つですが、どれも鎌倉時代以降に再建されたもの。乾漆八部衆立像の1躯で、教科書でもおなじみの「阿修羅像」が置かれていたのは西金堂。しかし、西金堂は江戸時代に燃えてしまい、現在の阿修羅像は国宝館に置かれています。

五重塔は国宝!その高さは?

五重塔/興福寺
画像素材:shutterstock

室町時代の1426年に再建されたもの。もともとは奈良時代の730年に建造され、実はもう6代目。高さは50.1m。日本における木造塔としては、京都の東寺にある五重塔の次ぐ高さ(54.8m)で、日本でも2番目に高い塔でもあります。

興福寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

興福寺
画像素材:shutterstock

興福寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
古都奈良の文化財は、中国や朝鮮半島との文化的な繋がりが見られ、深い影響を与えられつつ、日本の建築と芸術が当時としては高い水準に達していたということを示すという点。

登録基準(iii)
現在残る建築物や遺構からは平城京が首都であった時代に日本独自の文化が開花したということを証明しているということ。

登録基準(iv)
平城京跡と奈良に残る建造物は、アジアの最初期における国家の首都の都市計画と建造物の優れた例であるという点。

登録基準(vi)
奈良の仏教寺院と神社は、山や森を神格化するという日本独自の神道思想などが見られ、これは今でも日本人精神に残っていて、宗教的な文化を継承し続けているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

興福寺は鎌倉時代以降の建造物が多いですが、ルーツは平城京の時代に遡り、大陸から伝わった仏教に影響されつつも、日本独自の文化が築かれていったという足跡が残ることから評価されています。

ちなみに、興福寺といえば、子院である宝蔵院の「宝蔵院流槍術」で有名。宮本武蔵をテーマとした小説や漫画では、開祖の宝蔵院胤栄が登場しますが、彼は実在の人物であり、実際に十文字槍を使うことで有名でした。しかし、現在は失伝していて、江戸に伝えられた宝蔵院流高田派だけが現存。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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