登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1994年 |
龍安寺(りょうあんじ)は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。細川家と縁の深い寺院であり、世界的に有名な石庭があることでも知られますね。ところで、龍安寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは龍安寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、龍安寺について詳しくなること間違いなし!
龍安寺とは?その歴史と呼び方を解説
読み方は「りょうあんじ」
右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。もともとは平安時代の貴族の山荘があった場所を、文化人としても有名な細川勝元(1430〜1473年)が引き継ぎ、1450年に禅宗寺院を建立しました。中国の北宋(960〜1127年)の時代、龍安山兜率寺(とそつじ)の従悦禅師(じゅうえつぜんじ)が、 後に宰相となった張商英(ちょうしょうえい)の参禅(修行・座禅を組むこと)を指導したことが「龍安寺(りょうあんじ)」の由来とされています。
しかし、1468年に焼失し、その後、現代までに何度か焼失しています。方丈(住職の居室)は現在の妙心寺(右京区花園妙心寺町)にあったものを、18世紀後半に移築したもの。ここは細川家の墓があるほどに、今でも細川家と縁が深い寺院です。
石庭(枯山水庭園)
石庭には4つの謎がある
龍安寺で最も有名なのは、方丈の庭園「石庭」。これは枯山水の庭園様式の傑作であるものの、作者は現在でも不明で、1500年頃に優れた禅僧によって作られたとされています。石庭には、刻印の謎、作庭の謎、遠近の謎、土塀の謎と4つの謎があります。「刻印の謎」は、土塀の近くにある長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれていて、関係者の名前とは考えられますが、誰を示しているかも不明のまま。
「遠近の謎」は、石庭は水平に見えるものの、少し勾配を作ることによって排水も考慮されていて、壁は方丈の入口手前から奥に向かって低くなるようになっているのが特徴です。「土塀の謎」は石庭を囲む、高さ180cmの土塀のこと。
石の数はいくつある?
謎の最後の一つ「作庭の謎」は、この石庭そのものの謎。幅25m、奥行き10mの石庭は、15もの大小の石を配置され、どの位置で見ても必ず1個は別の石の陰に隠れてしまうという構造です。石庭は「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」とも呼ばれ、さまざまなモチーフがあると考えられていますが、作者の意図は今では分からないまま。
鏡容池(きょうようち)
敷地内の南側に広がる池泉回遊式庭園で、国の名勝にも登録されています。面積は古く、境内の敷地の3分の1にもなるほど。池は平安時代にこの地で建造された「円融寺(えんゆうじ)」があった頃から存在していたとされるほどに古いもの。1780年に刊行された、旅行ガイドブックのような存在の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」でも鏡容池は紹介されていて、当時はオシドリがよく見られる場所だったとか。
龍安寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
龍安寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
龍安寺の石庭は、枯山水の傑作。日本の庭園様式の中でもトップクラスに有名なものであり、世界に誇る庭園であるという点で評価されています。
ちなみに、明治時代に廃仏毀釈によって、方丈に存在した狩野派の襖絵が90面すべて売却されてしまい、その後は次々と持ち主が変わり、一部はアメリカのメトロポリタン美術館が所蔵されていたりします。一応、龍安寺が少しずつ買い戻しているものの、果たして全部揃う日はいつの日か!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。