和歌山県の世界遺産「徳川家霊台」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2004年

徳川家霊台は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成遺産の一つ。徳川幕府の将軍である初代の家康と二代目の秀忠の霊台となっていて、豪華絢爛な美しい建造物であるのが特徴です。ところで、徳川家霊台はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは徳川家霊台がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、徳川家霊台について詳しくなること間違なし!

目次

徳川家霊台とは?

徳川家霊台

一般的に和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」。徳川家霊台は北西に位置する五之室谷(ごのむろだに)にある重要文化財に登録されている建造物。

これらは徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内にあったものですが、明治以降は廃寺になったために現在は金剛峯寺が管理しています。正面右が初代将軍・家康の霊屋(たまや)で左が二代将軍・秀忠の霊屋。『紀伊続風土記』によると「1643年に落成」という記述があり、三代将軍の家光の時代に建造されたもの。正面向拝(こうはい)は唐破風となっていて、細部にいたるまで彫刻や錺金具が施されている点で見事です。内部は非公開ですが、壁面や天井には金銀の蒔絵や飾り金具などで覆い尽くされた豪華絢爛な造り。

徳川家霊台はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

徳川家霊台

徳川家霊台が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。

登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。

登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。

登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

徳川家霊台はこの世とあの世の境目とされる信仰が残る高野山にあり、日本独自の宗教観が見られ、現在も信仰が続いているという点で評価されています。

ちなみに、2つの霊屋は似ているようですが、徳川家康は寅年生まれとされていて、正面に虎の彫刻が施してあり、秀忠は卯年生まれであるために、正面に兎の彫刻が施してあるというのが通説。しかし、近年は家康こそが「卯年生まれ」だったのでは?という説もあり、実は後世に彼を神格化するために「寅年にした」という話もあることから、ちょっと怪しいところ。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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