登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (6) |
登録年 | 2010年 |
太平洋に浮かぶマーシャル諸島は、ミクロネシア連邦に属する小さな島国です。ビキニ環礁では、1946〜1958年までアメリカが核実験を67回も行った場所として有名。特に1954年に水爆実験によって形成された巨大なブラボー・クレーターなどは現在でも残り、ここは核時代の幕開けを象徴する場所です。
ここでは、ビキニ環礁核実験場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ビキニ環礁核実験場について詳しくなること間違いなし!
ビキニ環礁核実験場とは?現在はどのようになっている?
マーシャル諸島は、南太平洋に浮かぶミニ国家で、かつてはアメリカ合唱国の信任統治領でした。ここは人口密度が低いということで第二次世界大戦後、東西冷戦が始まったことから、1946〜1958年まで核実験を67回も行われました。特にビキニ諸島では住民を移住させた後、核実験が23回も行われた場所として有名。
ビキニ環礁には、1946年の史上4番目と5番目の核実験で沈んだ船、そして島々には観測施設などが今でも残っています。ここは1954年に広島型の原子爆弾の約1000倍の威力がある水素爆弾「ブラボー」を爆発させるという「キャッスル作戦」が行われた場所。
これにより2kmほどの広さがあるブラボー・クレーターが形成され、島そのものが消滅。結果、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁に避難していた島民64人が被爆、この海域にいた日本のマグロ漁船・第五福竜丸も被爆し、2万人もの人々が被爆してしまいました。
負の遺産
アメリカによる放射の除去作業を終えた後、住民は一度は帰還したものの、身体異常が発生したため、現在でもここは無人島のまま。楽園というイメージがあるものの、実験によって28種類のサンゴは絶滅してしまい、ここで人が生活できるのは2052年以降とされるほどに地球に大きな傷跡を残しました。
合計すると広島に投下された原爆の約7000倍の威力があったとされ、核の時代の始まりのシンボルとして、2010年に世界遺産に登録されました。
ビキニ環礁核実験場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ビキニ環礁核実験場が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ビキニ環礁は、核実験が行われた場所という点で、冷戦の始まりということを示すものではあります。よってここは核の時代の幕開けという意味で「科学技術の進化」という点で登録。
登録基準(vi)
核実験による深刻な汚染は、核の恐ろしいイメージを生み出し、各国の核反対運動を引き起こしたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
当時の世界情勢を踏まえると核実験を続けることはアメリカにとって重要ではあり、皮肉なことに核爆弾実験場は、人類の「科学技術の進化」を示す場所となりました。しかし、ここでの実験は南国の楽園を人が住むことができない環境へと変化させてしまい、このことは世界に衝撃を与え、現在の核反対の運動へと繋がることになったという点で、負の遺産として世界遺産に登録。
ちなみに、ビキニというセパレート型の女性用水着がありますが、この「ビキニ」は、1946年にここで行われた核実験が「小さくて破壊的威力」があることから命名されたもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。