登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2024年 |
鶴子銀山(つるしぎんざん)は「佐渡島の金山」の構成資産の一つ。佐渡島でも最古の銀山の一つですが、銀山としては17世紀には衰退したために、現在は跡地のみ現存。ところで、鶴子銀山はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは鶴子銀山がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、鶴子銀山について詳しくなること間違なし!
鶴子銀山とは?
鶴子銀山は、佐渡島の西側に位置する鉱山跡。1542年から銀が採掘されていて、島でも最古の銀山の一つでもあります。最初は地表に露出した鉱脈の露頭堀りから始まったため「百枚平」と呼ばれる跡地が残っています。そして、1595年には石見銀山から山師を招くと坑道が形成され、「大滝間歩」と「本口間歩」など、採掘技術が向上したことが分かるものも残存。そして、銀を島外へと運搬するための港があった沢根町までの運搬路が形成され、これは「鶴子道」と呼ばれます。
しかし、鶴子銀山は17世紀初期には銀の採掘量が減ってしまったため、銀の採掘は山の反対側にある相川金銀山が中心となり、鉱山と運搬路も同時に衰退していきます。18世紀には銅の採掘が中心となり、1946年に閉山。現在は遺構のみ残っています。
鶴子銀山はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
鶴子銀山が評価されたのは以下の点。
登録基準(iv)
佐渡島は南と北の2つの山脈に1つの沖積平野で隔てられるという地形であり、島に残る金と銀の鉱床は、熱水が地表に上昇し、地殻変動により、海底に沈んだ後、再び隆起したという構造です。そのような環境のなか、砂金の鉱床は、西三川地域で採掘され、後に火山岩の風化により鉱脈が露出し、相川・鶴子地域で地下採掘が行われました。地下と地上に残る遺構は、採鉱のための社会・労働組織が反映されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
鶴子銀山は、16世紀に銀山として開拓され、露頭掘りや初期の坑道の跡が残存。相川金銀山に比べ、近世には衰退してしまいますが、鉱山における採掘技術の発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、現在の沢根町の港は漁港が中心となっていて、鶴子道が衰退したのも、島の南部にある現在の小木港が中心となったからという理由もあります。そして、小木港といえば島の名物「たらい舟」があることでも有名ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。