登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4) |
登録年 | 2001年 |
ウルグ・ベク天文台は「サマルカンド‐文化交差路」の構成資産の一つ。ここはティムール朝の第4代の王ウルグ・ベクによって築かれた、当時としては世界最先端の天文台でした。ところで、ウルグ・ベク天文台はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではウルグ・ベク天文台がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウルグ・ベク天文台について詳しくなること間違いなし!
ウルグ・ベク天文台とは?
ティムール朝の第4代ウルグ・ベク(1394〜1449年)によって1429年に街の郊外に建造されたもの。彼は王でありながら、高名な天文学者でもありました。現在は地下に埋まっている天文台そのものが、六分儀という天体観測用の装置になっていて、星の軌跡を記録していました。地下部分を合わせて高さは約40mと、当時としては世界最大の「象限儀(しょうげんぎ)」でもあったもの。
しかし、ウルグ・ベクが死去した1449年に破壊。その後、1908年に発掘され、今ではウルグ・ベグが使用していた時代の姿を眺めることができます。ウルグ・ベグは15世紀の時点で、恒星年(一年の長さ)が365日6時間10分8秒であるということを発見していました。現代の計算では、365日6時間10分9.6秒と、実際は約2秒ずれていましたが、彼らは望遠鏡を使わずに測定したことになるのです。
ウルグ・ベク天文台はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウルグ・ベク天文台が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
文化の交差路であったサマルカンドの建築物と町並みは、イスラム建築の傑作であるという点。
登録基準(ii)
サマルカンドの建造物は、地中海からインドまで各地のイスラム建築に影響を与えていたということ。
登録基準(iv)
サマルカンドの旧市街に見られる建築物や都市構造などは、13世紀から現在まで、中央アジアの文化が発展するまでの重要な段階を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ウルグ・ベク天文台は、天文学者でもあったウルグ・ベクによって築かれ、ここは建築物としての傑作というだけでなく、当時の中央アジアの科学が発展していたということを示すという点で評価されています。
ちなみに、ウルグ・ベクは天文学だけでなく、数学や言語学など、勉学に励んだ人物ではありましたが、占星術を信じるタイプの人間だったそうで「自分の息子に殺される」という結果が出てから、長男のアブドゥッラティーフを避けるようになりました。占いが当たったのかどうかは分かりませんが、彼の最期はアブドゥッラティーフが派遣した刺客によって殺害という悲しい結末となります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。