岩手県の世界遺産候補「柳之御所遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(6)
申請年(暫定リストに記載)2012年

「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」が拡大登録を目指していて、柳之御所遺跡(やなぎのごしょいせき)は構成資産の候補の一つ。ところで、柳之御所遺跡はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは柳之御所遺跡がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、柳之御所遺跡について詳しくなること間違なし!

目次

柳之御所遺跡とは?

柳之御所遺跡
画像素材:写真AC

柳之御所は平泉町に位置し、世界遺産に登録されている中尊寺から南東部にあることから、黄金に輝く「金色堂」を望むように設計された奥州藤原氏の居館でした。ここは初代の藤原清衡(1056〜1128年)によって築かれ、3代目の藤原秀衡(1122〜1187年)が政庁・平泉館として再整備を行ったという可能性が高い場所。平泉館は1189年に源頼朝の大軍に襲撃されると炎上し、それ以降はずっと遺構となっています。

ここは北上川沿いにあるため浸食されてしまい、遺跡は存在していないと思われましたが、1969年以降に調査が始まると、建物跡や堀、橋、道路、池などが発見され、国産の陶器や中国の陶磁器、烏帽子などが発掘されました。現在は遺跡の約半分が公園として整備され、建物は復元されていませんが、当時の池や堀、道路などは復元されています。

柳之御所遺跡はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

柳之御所遺跡
画像素材:写真AC

柳之御所遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。

登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

柳之御所は奥州藤原氏当主の館であると同時に、平泉の政庁であったことから貴重な遺構であるということが評価されています。しかし、近くに平泉バイパスが通っていて景観には配慮されて整備されていますが、やはり歴史的景観を損なうという問題も。そして、2011年の平泉の世界遺産登録の際にはここは除外されてしまい、現在は暫定リストとして正式登録を目指しています。

ちなみに、柳之御所というのは後世に名付けられたもので、文献によると当時は平泉館と呼ばれていたものの、近くで「柳之御所」という文字が存在していたためにこの名が付けられたとか。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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