登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (4), (6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2009年 |
ジャマイカの首都キングストンの沖合に位置するポート・ロイヤルは17世紀にイギリスの交易の拠点として、商人や海賊が多く出入りする港湾都市でしたが、地震によって崩壊。現在は当時のカリブ海の暮らしや海賊の様子が分かる遺構が広がっています。
ここではポート・ロイヤルの17世紀の考古学的景観がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポート・ロイヤルについて詳しくなること間違なし!
ポート・ロイヤルの17世紀の考古学的景観とは?
ポート・ロイヤルは、ジャマイカの現在の首都キングストンの沖合に位置する半島の先にありました。ここはカリブ海の交易の拠点として、16世紀にスペインが築くものの、1655年にイギリスがスペインからジャマイカを奪うと要塞が築かれ、砦に囲まれた街へと変化。最盛期は人口は6500人から1万人ほどになり、商人や船乗りだけでなく、職人や海賊まで集まる賑やかな街でした。総督官邸や教会など、2000もの建物が島の中で築かれたというほど。
しかし、1692年に地震が発生すると、街の3分の2は海に沈み、その後も人は暮らし続けるものの、何度も地震が発生したために、商業の中心は現在のキングストンへと移動し、1905年まではイギリスの海軍基地が置かれました。その後、20世紀中盤から発掘調査が行われ、かつての住宅地や商業地区などが発見され、財宝なども海中から発見されていますが、当時から残っている建造物は半島の南にあるチャールズ砦のみ。
ポート・ロイヤルの17世紀の考古学的景観はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
ポート・ロイヤルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ポート・ロイヤルでは、水中も含めて17世紀の港湾都市の遺構が残っていて、植民地時代の港町の様子が見られる例であり、当時のカリブの生活だけでなく、海賊の生活を垣間見られ、さらには交易品なども分かるという点。
登録基準(vi)
17世紀に繁栄したポート・ロイヤルは、当時の世界で発生していた、さまざまな品物が庶民でも手に入れることができるようになった消費革命や、肉体労働から機械を使った労働へと移行する産業革命といった、イギリスの社会の変化が見られ、イギリスで最も国際化した都市であった可能性もあるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ポート・ロイヤルは、17世紀に地震で崩壊してしまったため、遺構からは当時のカリブ海の経済や暮らしなどがよく分かり、この地で発生した社会の大きな変化を示しているという点で評価されています。
ちなみに、ポート・ロイヤルというと、ウォルト・ディズニー映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』でもジャック・スパロウがウィルやエリザベス・スワンと出会った街としても登場しています。とはいえ、彼は絞首刑にされそうになったりと、結構ピンチのシーンが続いたので、劇中ではあまり触れられていないですが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。