登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1993年 |
ドイツ南部バイエルン州にあるバンベルクは、10世紀に東フランク王国の領土になると、11世紀に後の神聖ローマ皇帝となるハインリヒ2世が、ここに司教座を設立。彼はここを第二のローマにしようと計画し、大聖堂や修道院などを建造しました。やがてバロック建築が立ち並ぶようになると「バイエルンの真珠」と呼ばれるほどに繁栄。
ここではバンベルク市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バンベルクについて詳しくなること間違いなし!
バンベルク市街とは?
バンベルクは、ドイツ南部のバイエルン州の北部にある歴史深い町。街の起源は記録としては10世紀とされていますが、バイエルン公であり、東フランク王であったハインリヒ2世が1007年に司教座を設置したことにより、町は発展。彼はバンベルクを「第二のローマ」になることを目的としていて、今でも中世に建造された教会などが残っています。
12世紀以降、司教が住む町として発展し、町は「バイエルンの真珠」と呼ばれるように。ここで確立された建築様式は、ドイツ北部やハンガリーなどに大きな影響を与えるようになりました。バンベルクは、17世紀には大学が設立され、18世紀には作家E・T・A・ホフマンが生まれた地でもあり、ドイツの偉大な思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが暮らしたりと、バイエルンの啓蒙主義の中心地でもあったのです。
登録されている主な構成資産
バンベルク大聖堂
最初の建造物は、1002年にハインリヒ2世によって建造されたもので、その後2度も火災に遭い、現存する大聖堂は13世紀に完成したロマネスク様式のもの。ここにはハインリヒ2世と皇后の墓が築かれ、教皇であったクレメンス2世の墓まであり、アルプス山脈より北にある唯一の教皇の墓となっています。
4つの尖塔は大聖堂のシンボル。館内にはゴシック様式の作品も追加され、ここはロマネスク様式からゴシック様式の変換が見られる大聖堂でもあります。
旧宮殿
大聖堂の西側に1591年に建造。バンベルク伯の邸宅に築かれたものではありますが、ここは新宮殿が完成するまでは司教が暮らす宮殿でした。
新宮殿
旧宮殿の北側に17〜18世紀に築かれた壮麗な宮殿。司教のために使用されていましたが、1864〜1867年には初代ギリシャ国王であったオソン1世が亡くなるまで滞在したことでも有名。バラ園があることでも知られ、4500ものバラが植えられています。
旧市庁舎
旧市街の中心部に流れるレーグニッツ川に架けられた橋には、15世紀に人工島が建造され、建物は18世紀に再建されたもの。伝説によると、バンベルクの司教は市庁舎のための土地を市民に与えなかったため、彼らはレーグニッツ川に人工島を建造したとされています。館内にはロココ様式の美しいホールがあることでも有名。
バンベルク市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バンベルクが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
バンベルクには、中世とバロック様式の建造物が並び、その区画は11世紀以降の中央ヨーロッパの都市計画の発展に影響を与えたという点。
登録基準(iv)
バンベルクは宗教と商業の両方で繁栄した都市で、この都市計画は中央ヨーロッパの中世初期の都市として代表的なものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
バンベルクは、宗教都市であると同時に商業都市として発展したということもあり、中央ヨーロッパにおいて、中世初期を代表する都市。この町の都市構造は他の都市にも影響を与えたということで評価されています。
ちなみに、バンベルクはビールの町で、燻製した麦芽から作る「ラオホビア」で有名。なんと現在でも醸造所が9つもあり、クラフトビール巡りが楽しい町でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。