登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1999年(2005年拡張) |
ベルギーのワロン地方とフランドル地方、そしてフランス北部には、11〜17世紀に建造された美しい鐘楼が多く点在しています。各都市は交通の要衝で、自治権を得てからは市民はその自由と繁栄の象徴として鐘楼を建造してきました。時代ごとに異なる55もの鐘楼が世界遺産として登録されています。
ここではベルギーとフランスの鐘楼群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 ベルギーとフランスの鐘楼群について詳しくなること間違いなし!
ベルギーとフランスの鐘楼群とは?
もともとは1999年に「フランドル地方とワロン地方の鐘楼群」としてベルギー各地の32の鐘楼が登録されましたが、2005年にフランス北部にある23の鐘楼が追加で登録されました。
中世においてこの地域の都市は交通の要衝で栄え、自治権を得てからは鐘楼を建造。鐘楼は監視塔や刑務所としての機能もあり、権力と富のシンボルでもありました。11世紀以降、各都市の塔は公共施設へと発展し、それらは大聖堂や教会の塔であったりと、市庁舎の塔であったりとさまざま。各都市の鐘楼は、17世紀まで建造が続けられました。ロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式など、各時代の様式が見られ、修復されつつ鐘楼は維持されてきたのです。
登録されている主な構成資産
聖母大聖堂(ノートルダム大聖堂)/アントウェルペン(アントワープ)
港町アントウェルペン旧市街の中心部にあり、14世紀にゴシック様式で建造。1518年に完成した北塔は123mもあり、ブルッヘの聖母教会の122mよりも高く、ネーデルラント(オランダ、ブリュッセル、ルクセンブルクの3ヵ国を示すエリア)でも最も高い建築物になりました。
ちなみに、ウィーダの小説『フランダースの犬』で「ネロとパトラッシュが天国へと召された場所」ではあるので、その点は日本人だけに有名。きちんとルーベンスの芸術作品も残っています。
市庁舎/アントウェルペン(アントワープ)
こちらもアントウェルペンの旧市街にある市庁舎。16世紀に建造され、イタリアのルネサンス様式の建築物ではあるものの、フランドル地方の影響を受けています。
ブルッヘの鐘楼/ブルッヘ(ブルージュ)
フランドル地方の西部のブルッヘ。旧市街には、13世紀初頭に建造されたゴシック様式の鐘楼があります。もともとは木造で作られ、13世紀後半に焼失したために再建。さらに15世紀と19世紀にも再建され続け、現在の塔の高さは83mとなっています。
最上階にはカリヨン(組み鐘)が置かれていて、現在でも演奏が行われています。ここはもう一つの世界遺産「ブルッヘ歴史地区」としても登録。
ヘントの鐘楼/ヘント
フランドル地方の中央部にあるヘント。ここは高さ91mの鐘楼があり、ベルギーでも最も高い鐘楼になっています。14世紀に建造されたものですが、何度も改装を重ね、20世紀前半には現在の尖塔になりました。塔の上には14世紀にはカリヨンの前身となるような警報装置が設置され、17世紀には正式にカリヨンが置かれています。
ベルギーとフランスの鐘楼群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベルギーとフランスの鐘楼群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ベルギーとフランスに点在する鐘楼は、政治や宗教的な用途で作られた都市建築であったということ。
登録基準(iv)
ベルギーとフランスの鐘楼は、各都市の封建制度からの独立を示し、政治的権力や宗教的権力を示すという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ベルギーとフランスの鐘楼は、市庁舎や大聖堂に併設されていて、それぞれにさまざまな目的がありましたが、これらは中世の自治都市による、各国の封建制度からの脱却を示すシンボルであったという点で評価されています。
ちなみに『フランダースの犬』の作者はイギリス人ということで、ベルギーではあまりというか…全く人気のない作品でもあります。聖母大聖堂前の広場には日本語の記念碑も設置されたものの、あまり関心を示さず、撤去されてしまったほど。そして、ネロとパトラッシュが天に召される場面を再現した新しい石像が置かれたのですが…可愛らしくデフォルメされ過ぎて全く可哀想に見えないという。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。