登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2013年 |
ドイツ中央部に位置するカッセルは、ヘッセンの首都だった都市で、西側に位置する庭園は17世紀にヘッセン=カッセン伯であったカール伯爵によって建造。18世紀にイギリス式庭園であるロマン主義的自然公園に作り変えられ、君主の理想の公園を表したというものとして評価されています。
ここではベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエについて詳しくなること間違いなし!
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエとは?
ドイツ中央部にあるカッセルは、かつてはヘッセン地方の中心都市でした。12世紀にベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエのある丘の上に場所に城が築かれると、13世紀はにヘッセン方伯の城となり、16世紀にはヘッセン=カッセル方伯領の宮廷が置かれるほどに。ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエというのは、「山の公園ヴィルヘルムスヘーエ」という意味で、庭園は17世紀にヘッセン=カッセル方伯カールによってバロック様式の公園として建造されたもの。
ここは公園のシンボルであるヘラクレス像の背後にある貯水池から、油圧や空気圧を利用して斜面に広がる水路に流れ出るという仕組みになっています。18世紀になると、カール伯爵の曾孫であるヴィルヘルム選帝侯によってヴィルヘルムスヘーエ城が築かれ、庭園はイギリス式庭園であるロマン主義的自然公園として、350mもの滝や噴水、獅子の宮殿、悪魔の橋などが、19世紀まで加えられていきます。これらは18〜19世紀のヨーロッパの支配者階級の富と権力を示すもの。
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ヘラクレス像を含めたベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエは、ヨーロッパの絶対君主主義の時代のシンボル的存在であるということ。
登録基準(iv)
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエは近世で最も洗練された巨像であるヘラクレス像や人工の滝など、他で見ることができないほどにユニークなもので、ここはバロック様式とロマン主義様式の傑出した庭園であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエは、急斜面に水が流れるというシステムであり、さらに巨大なヘラクレス像や人工の滝など、近世でも優れた建築技術が見られることからバロック様式とロマン主義の庭園は、当時のヨーロッパの絶対君主の時代のシンボルでもあったという点で評価。
カッセルはなぜかアライグマの棲息密度が高いことで知られ、市内にはなんと1万匹は住んでいるそう。そもそもアライグマは北米が生息地なのにもかかわらず、ドイツでは外来種として数が増え、もはや北米のどの都市よりも棲息密度が高くなってしまいました。どうやらカッセルはアライグマにとって暮らしやすい街だそう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。