登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1992年 |
チェコ南部にあるチェスキー・クルムロフは、ヴルタヴァ(モルダウ)川沿いに作られた小さな町。ここはゴシック、ルネサンス、バロック様式を備えたクルムロフ城を中心とした中世の町並みがそのまま残っており、当時の風景が今でも見られるという点で評価されています。
ここでは、チェスキー・クルムロフ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チェスキー・クルムロフについて詳しくなること間違いなし!
チェスキー・クルムロフ歴史地区とは?
チェスキー・クルムロフは、チェコの南部にある南ボヘミア州の小さな町。13世紀後半にヴルタヴァ(モルダウ)川沿いに町と城が建設され、14世紀になり、ローゼンベルク(ロジェンベルク)家が支配するようになると商工業で発達し、交易が盛んになります。15世紀には町は拡大し、東側のラトラン地区もこの頃に形成されたもの。
16世紀になるとルネサンス様式の建造物も多くなるものの、17世紀になり、ローゼンベルク家は財政が破綻し、エッゲンベルク家が支配するように。この時期には町はバロック様式が加わっていきます。町はもともとドイツ系住民が多かったものの、第一次世界大戦後に、チェコスロバキア領となり「チェスキー・クルムロフ」という名前になりました。
登録されている主な構成資産
クルムロフ城
13世紀後半に建造されたクロムロフ城は、領主によって改築され続け、最も古い部分はゴシック様式で建造されたもので、ルネサンス様式の天井などを持つ城になりました。18世紀にはバロック様式に改築され、その際に建設された劇場は、機械仕掛けの装置を持つ壮麗なデザイン。
聖ヴィート教会
ヴルタヴァ(モルダウ)川沿いにある聖ヴィート教会は、15世紀に建造された後期ゴシック様式の教会。内部には美しいフレスコ画や17世紀に作られた祭壇などが残ります。
チェスキー・クルムロフ歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
チェスキー・クルムロフが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
チェスキー・クルムロフ歴史地区は、中世に築かれた都市として保存状態もよく、当時の暮らしがよく分かるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
チェスキー・クルムロフは、開発されることもなく、中世から19世紀まで築かれた建造物がそのまま残ったという点で評価されています。
しかし、なぜここまで綺麗に残ったか…実はドイツ系住民が多かったため、第2次世界大戦後にドイツが撤退するとドイツ系住民も追放され、町は無人となってしまったという背景もあるのです。結局、建物が補修されたのは1960年代以降になってから。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。