登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (6) |
登録年 | 1996年 |
ドイツ東部にあるアイスレーベンとヴィッテンベルクは、マルティン・ルターゆかりの地。ルターはアイスレーベンで生まれ、亡くなったため、当時彼が住んでいた家が残っています。そして、ルターが活動したのはヴィッテンベルクという街。ここは贖宥状の販売を批判する「95か条の論題」が発表された地で、宗教改革が始まったという点で記念すべき場所でもあります。
ここではアイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ルター記念建造物について詳しくなること間違いなし!
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群とは?
マルティン・ルターは、16世紀の宗教改革の中心人物で、彼がローマ・カトリック教会を批判したことから派生したのが「プロテスタント」。世界遺産に登録されて2つの街は彼の故郷であり、活動の拠点でもありました。彼の思想はドイツを越えて、ヨーロッパ全体の政治と文化、宗教を揺るがしたことから、彼のゆかりの地は現在でも多くの人が訪れます。
アイスレーベン
ドイツ東部にあるザクセン=アンハルト州にある都市で、ルターの出身地であることから「ルターシュタット(ルター都市)」が頭に付けられ、ルターシュタット・アイスレーベンと呼ばれます。
アイスレーベンはこの地域の中心都市で、ルターは1483年に市内の小さな家に生まれたのですが、一家は1484年までしか滞在していませんでした。現在の生家は17世紀に再建され、ルターと宗教改革を記念する施設となり、19世紀にはルター学校の校舎が併設され、現在は博物館となっています。そして、1546年にルターがこの街で死去する際に住んでいた家は「死去の家」として記念館に。
ヴィッテンベルク
アイスレーベンの北東に位置するヴィッテンベルクは、ルターが修道士兼教授として働いていた場所。ここにはルターが住居として使用していた場所や彼が説教を行った教会などが登録されています。城付属聖堂は、16世紀に贖宥状(免罪符とも。金額を出すことで罪の許しを得られるというもの)を批判する「95か条の論題」が発表された地ではありますが、現存する建物は19世紀に再建されたもの。
ここもルターの足跡が残る地として「ルターシュタット(ルター都市)」が加えられています。
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ルター記念建造物が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
アイスレーベンとヴィッテンベルクに残るルターの関連施設は、芸術性も高いですが、ヨーロッパの宗教の概念が変わり、新しい時代を迎えたという記念建築物であるという点。
登録基準(vi)
アイスレーベンとヴィッテンベルクに残るルターの関連施設は、プロテスタントが誕生するきっかけとなり、世界の政治史や宗教史ににおいて重要な出来事を示す存在であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アイスレーベンとヴィッテンベルクには、宗教革命のきっかけとなった「95か条の論題」で抗議したルターゆかりの地で、もちろん、建物は素晴らしいですが、それ以上にヨーロッパの歴史、特にルターがキリスト教に革命をもたらしたということで記念物として評価されています。
ちなみに、ルターシュタットは他にもルターが少年時代を過ごした都市マンスフェルトにも与えられています。ザクセン=アンハルト州の内務省から名誉称号で与えられるのが、公式な「ルターシュタット」ではあるのですが、他にもドイツにはルターゆかりの16都市が勝手に加盟した「ルターシュタット連合」なんてものもあって、ルターがドイツ国民にすごく愛されているのがよーく分かりますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。