登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (5), (6) |
登録年 | 1995年(1999年拡張) |
イタリア北部を流れるポー川のデルタ地帯に位置するフェラーラは、中世から存在する歴史ある都市。フェラーラ公となったエステ家が支配するようになると、15世紀にエルコレ1世が建築家ビアージョ・ロセッティに新市街の設計を依頼し、「人文主義」をコンセプトにしたルネサンスの理想都市へと変化させたことで知られます。
ここではフェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フェラーラについて詳しくなること間違いなし!
フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯とは?
フェラーラは、イタリア北部に置するエミリア=ロマーニャ州のフェラーラ県の県都。イタリア北部を横断するポー川のデルタ地帯に設立され、古来から栄えた都市でもあります。発祥ははっきりとはしていませんが、12世紀には既に都市は城壁で囲まれていて、徐々に拡大していきました。
14世紀にイタリアの有力貴族・エステ家が支配するようになると、15世紀にフェラーラ公であったエルコレ1世が建築家ビアージョ・ロセッティに新市街の設計を依頼。彼は人文主義をコンセプトにし、市街を広げるために広大な沼地を排水し、町は城壁・水路などが網羅された初期のルネサンス都市となります。やがてフェラーラ公国の首都として、フィレンツェやヴェネツィアなどと肩を並べる存在であり、多くの芸術家が集まる文化都市へと発展。
しかし、16世紀後半になるとエステ家の直系はいなくなり、フェラーラは教皇領となりました。構成資産としてはフェラーラだけではなく、周囲のデルタ地域も含まれているため、世界遺産としての登録エリアは4万6000平方kmにも渡っています。
エステンセ城
1385年に建造されたエステ家の居城で、フェラーラの中心部に位置する建築物。4つの塔が併設された城で、イタリアでは珍しく、堀で囲まれています。外観はシンプルな構造ではありますが、オーロラの間や遊戯の小広間・大広間など、天井画が美しく、ルネサンス時代に施された装飾が現在でも見られるというのが特徴。
フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
フェラーラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
フェラーラで実現された、城壁や要塞などの要素を含めたルネサンスの都市計画は、数世紀に渡ってイタリアやヨーロッパの都市設計に採用されていったという点。
登録基準(iii)
ポー川のデルタ地帯に建設されたエステ家の宮殿は、ルネサンス様式が自然の景観に与えた影響を示すもの。
登録基準(iv)
フェラーラの歴史地区は、ルネサンス期の都市計画の優れた例であり、この時期の建築物や区画がそのまま保存されているという点。
登録基準(v)
フェラーラは、ポー川のデルタ地帯の上に設計された都市で、優れた文化的景観であるということ。
登録基準(vi)
ルネサンス期に繁栄したフェラーラは、エステ家の宮廷には芸術家、詩人、哲学者が多く訪れ、新しい人文主義が発展し、それが実用化された場所でもあったという点。
フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯の世界遺産マニアの結論と感想
フェラーラは、ポー川のデルタ地域を見事に利用して設計された都市で、エステ家によってルネサンスの都市計画が実現されました。フェラーラで確立された都市設計はイタリアだけでなく、他のヨーロッパ都市でも採用されたという点で評価。そして、エステ家が築いた宮廷には、ルネサンス期の芸術家が多く訪れ、ここでルネサンスの文化が花開いたというのもポイント。
エルコレ1世は、大の音楽好きで、宮廷にはフランス系のフランドル人の音楽家が集まったため、街は音楽の都となった時期も。さらに詩人のルドヴィーコ・アリオストを雇っていたこともあり、やがてアリオストの作品『狂えるオルランド』が当時のイタリアでベストセラーになるほどで、彼は芸術をこよなく愛した人物だった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。