登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2000年 |
ドイツの中東部にあるデッサウの郊外には、18世紀にアンハルト=デッサウ侯であったレオポルド3世紀によって造園されたヴェルリッツ庭園があり、ここはヨーロッパ初の風景式庭園でもありました。庭園は宮殿や聖堂、パンテオンなどが風景に溶け込むように点在し、当時の領主レオポルト3世の啓蒙思想を領民に浸透させるという目的もありました。
ここではデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国について詳しくなること間違いなし!
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国とは?
ザクセン=アンハルト州に位置する都市デッサウの郊外には、18世紀末にアンハルト=デッサウ侯であったレオポルト3世(1740〜1817年)によって造られたヴェルリッツ庭園が残ります。彼は啓蒙思想の持ち主で、イギリスびいきということもあり、ここはイギリス南部のステアトンにあるスタウアヘッドなどのイギリス式庭園(自然風景式庭園、自然の景観美を追求する庭園様式)やイタリアの古典建築の影響を受けた、ヨーロッパでも初の風景式庭園を建造。敷地内には、フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの美学を反映したルソー島と呼ばれる島もあります。
庭園内にある18世紀建造のヴェルリッツ宮殿はドイツ史上初の新古典主義の建築物で、ゴシック・ハウスは最初期のゴシック・リヴァイヴァル建築(ネオ・ゴシック様式)の一つ。この他にも聖堂やパンテオンなど、新古典主義の建造物が景観に溶け込むように多く配置され、まるで建築物の百科事典のよう。レオポルト3世は彼の啓蒙思想を領民に浸透させるという目的で造園したという経緯もあり、早くから領民に庭園を開放していました。他にも市内に残る霊廟や郊外に残る宮殿も合わせて世界遺産として登録。
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、芸術、教育、経済の調和が取れた風景設計が見られ、啓蒙主義時代の思想や原則などが適用された庭園であるという点。
登録基準(iv)
18世紀は風景式庭園が発展した時期で、デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国はその規模もさることながら、当時を代表する庭園であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、美しいというだけでなく、教育も目的とした庭園で、啓蒙主義時代の思想や原則が反映され、ヨーロッパにおける風景式庭園を代表するものであるという点で評価されています。
ちなみに、デッサウといえば、建築を含む現代芸術に大きな影響を与えた学校・バウハウスが置かれたこともあるほどに建築とはゆかりが深い土地。そういった意味で庭園王国があったことで、その土壌が築かれたのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。