登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 1999年(2010年拡張) |
グラーツは、オーストリア南東部にある中世の町並みが綺麗に残っている都市。ここはハプスブルク家の庇護のもとに発展し、中央ヨーロッパの模範的な都市になりました。郊外にあるエッゲンブルク城は、ハプルブルク家によって築かれた城で、美しい装飾やインテリア、庭園などが見られます。
ここではグラーツの市街-歴史地区とエッゲンベルク城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、グラーツについて詳しくなること間違いなし!
グラーツの市街-歴史地区とエッゲンベルク城とは?
オーストリア南東部のシュタイアーマルク州の州都であるグラーツは、新石器時代まで遡るほどに古い歴史を誇る都市。現在のグラーツの歴史は10世紀に始まり、15世紀にハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝であったフリードリヒ3世がここに王宮を作り、首都としました。この時期に大聖堂が築かれ、ドイツ語圏で初めてルネサンス様式を取り入れた旧イエズス会神学校は現在でも残っています。
グラーツは文化・芸術都市として発展するものの、17世紀になると、皇帝フェルディナント2世はウィーンに遷都し、徐々に衰退。そして、この頃にオーストリアの政治家ハンス・ウルリヒ・フォン・エッゲンベルクが郊外に城を建設し、その華麗な城はエッゲンベルク城と名付けられ、2010年に追加で世界遺産に登録されました。
登録されている主な構成資産
王宮
かつてフリードリヒ3世によって建造された王宮は、ほとんど残っておらず、現存するのは1499年に建造された階段塔のみ。これは二重の螺旋となっていて、ゴシック建築の傑作となっています。現在は州知事官邸として利用。
グラーツ大聖堂
15世紀にフリードリヒ3世の宮廷聖堂として建造された大聖堂。後期ゴシック様式で建造されましたが、内装はバロック様式となっています。ここに保管されている、15世紀に描かれた『厄災図』は、グラーツ最古のもの。
エッゲンベルク城
グラーツの中心部から約3km西にある緑に囲まれた城。17世紀にエッゲンベルク家当主で内務長官も務めたハンス・ウルリヒ・フォン・エッゲンベルクによって、この地に城が築かれました。ここには、ゴシック様式の礼拝堂やホール、螺旋階段、ルネサンス様式の庭園などがあり、建築物はルネサンスとゴシック様式が混在するもの。
グラーツの市街-歴史地区とエッゲンベルク城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
グラーツが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
グラーツは、何世紀にも渡ってバルカン半島や地中海の文化と芸術が入り混じり、それが建築物にも反映されているという点。
登録基準(iv)
グラーツの建築物は、各時代の建築様式が見られ、それが調和のとれた町並みを形成しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
グラーツは、神聖ローマ帝国の首都であり、ハプスブルク家の庇護のもと、さまざまな文化や芸術が入り、それらはグラーツの建築物に見られるという点で評価されています。
ちなみに、『ターミネーター』などで有名な俳優アーネルド・シュワルツェネッガーは、グラーツ近隣のタール出身。生家は現在、資料館となっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。