登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2010年 |
韓国中部の河回村(ハフェマウル)と南東部の良洞村(ヤンドンマウル)は、14〜15世紀に建造された、代表的な氏族村(同族集落)。住民は李氏朝鮮時代の貴族的存在であった両班(ヤンバン)で、彼らによる伝統的な生活様式が現在も見られ、平屋の邸宅が続く美しい農村風景は17〜18世紀の詩人たちによって評価されてきました。
ここでは大韓民国の歴史的村落:河回と良洞がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、河回と良洞について詳しくなること間違いなし!
大韓民国の歴史的村落:河回と良洞とは?
安東市の河回村と慶州市の良洞村は、李氏朝鮮時代(1392〜1897年)時代を代表する2つの氏族村です。山々に囲まれたこれらの村は14〜15世紀に建造され、ここには当時の王朝の中でも有力貴族だった両班が住み、建築物は風水と儒教を考慮したもので、李氏朝鮮時代初期の貴族による儒教文化が数世紀に渡って繁栄した姿が見られます。
村には土の壁で囲まれた茅葺屋根の伝統家屋を中心に、周囲の山々、森、川、田畑など、美しい風景が広がっていて、17〜18世紀の詩人たちによって称賛されています。河回村は豊山柳氏の一族が住み、ここにはかつての政治家たちの住居が今でも現存。良洞村は月城孫氏と驪江李氏の一族が今でも暮らしています。
大韓民国の歴史的村落:河回と良洞はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
河回と良洞が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
河回と良洞は、李氏朝鮮時代初期の特徴を示す集落で、立地、計画、建築において2つの村は約500年に渡り、儒教に従って形成した保存状態の良い集落であるという点。
登録基準(iv)
河回と良洞は、両班と庶民の家々が集まり、その社会構造や文化的影響、文学や哲学の伝統、王権の影響力など、約5世紀に渡る李氏朝鮮王朝の繁栄を反映したものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
河回と良洞は、李氏朝鮮時代の両班による氏族村が保護されている例で、建造物からは李氏朝鮮の社会や文化、哲学、王権の影響が見られるという点で評価されています。
ちなみに、日本ではあまり見られませんが、氏族村(同族集落)は朝鮮半島だけでなく、中国や台湾でも見られるもの。特に地方に多く、出生率も高いことから、中国では人口が増えすぎて土地が足りなくなるということも。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。