登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
登録基準(暫定リストに記載) | (2),(4) |
申請年(暫定リストに記載) | 2017年 |
首都モスクワの東側に位置するヴラジーミル州の小さな街ゴロホヴェツ。ここは17世紀になると交易と工芸で発展し、街には白い石造りの商家、ルネサンスに影響を受けた聖堂・修道院が多く築かれました。その後、ここは大規模な開発が行われなかったために、当時の街並みが現代でも残っている貴重なエリアに。
ここではゴロホヴェツ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴロホヴェツ歴史地区について詳しくなること間違いなし!
ゴロホヴェツ歴史地区とは?
ゴロホヴェツは首都モスクワの東側に広がるヴラジーミル州の都市。ヴォルガ川の支流であるオカ川のさらに支流であるクリャージマ川沿いに位置しています。街の歴史は古く、11世紀に東スラヴ人がこの地へと移住する前に人々が暮らしていた跡も残存。後にウラジーミル・スーズダリ大公国(1157〜1363年)に組み込まれ、ここは国境沿いの要塞都市として機能していました。
17世紀になると、ここは皮なめしや織物、鍛冶など、手工業で繁栄し、多くの商人が集まる商業都市へと発展。彼らは聖堂を多く建造し、当時の聖堂や修道院は現在でも残っています。しかし、19世紀の工業化の波に乗れず、街には工場があまり建設されなかったため、石造りの商家や聖堂などは当時のまま残されました。
現代残る歴史的建造物は17世紀建造のものが多く、集落は西側にある聖ニコラス山と、その麓のエリアに分かれていて、他のロシアの都市のようにクレムリンは残っていません。
1643年に創立したニコライ修道院や1689年に建てられたスレテンスキー女子修道院など、ヨーロッパのルネサンス建築の影響が見られるのが特徴。そして、商人の家は、柱を持たないという白い石造りのルネサンス様式の邸宅となっていて、これらの保存状態も良好です。
ゴロホヴェツ歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
ロシア政府が提出した暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは2017年に暫定リストに記載された、ロシアにおける基準です。
登録基準(ii)
ゴロホヴェツ歴史地区は、首都モスクワと東部の大都市ニジニ・ノヴゴロドの間のルート上に存在したために、交易と工芸が発展し、その利益から聖堂と白い石造りの家々が多く建造され、18世紀初頭の自然環境の中に建築物が位置するという景観が今でも残されているという点。
登録基準(iv)
ゴロホヴェツは、台地と氾濫原の中に位置する街で、修道院のドームと建築物の尖塔が並び、17世紀の聖堂と建築物が自然景観と融合した設計。これは経済発展に伴う多様性と独自のアイデンティティに繋がるものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ゴロホヴェツ歴史地区は、大都市間に位置するために交易と工芸が発展し、その結果、街には自然に溶け込むように豪華な聖堂や修道院、石造りの立派な邸宅などが築かれていき、現在でも保存状態が良いという点で評価されています。
ちなみに、ゴロホヴェツの名前の由来はさまざまで、先住民のフィン・ウゴル語では「雪の中で居眠りする村」というメルヘンな名前だとか。そして、ロシア語の「エンドウマメ(ゴロフ)」という説があるものの、エンドウマメは古代エジプトにも記録があることから、世界最古の農作物と言われるほど。エンドウマメと街は、何かしら関係があったのかもしれませんね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。