登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2000年 |
アルゼンチン中北部のコルドバは、16世紀にスペイン人が建設し、17世紀から18世紀にかけて150年以上に渡ってイエズス会の布教の拠点となった場所。ここは南米でも最初期の大学であるイエズス会神学校を中心に教会と修道院、学生寮などが残り、周囲に位置する5つのエスタンシア(農業共同体)はイエズス会の修道士たちが先住民たちとともに暮らした跡でもあります。
ここではコルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、イエズス会伝道所とエスタンシア群について詳しくなること間違いなし!
コルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群とは?
コルドバ州の州都コルドバはブエノスアイレスに次ぐアルゼンチン第2の都市。ここは1573年から街が創設されると、1615年頃にヨーロッパから伝道を目的にイエズス会がこの地で活動を開始しました。コルドバの中心地には、イエズス会の神学校が築かれ、これは後に南米でも最初期の大学となるコルドバ大学の前身でもあり、ここにはイエズス会の教会、修道院、学生寮などが今でも残されています。
それに合わせて、イエズス会の修道士はコルドバの郊外のアルタ・グラシア、ヘスス・マリーア 、サンタ・カタリーナ、カロヤ、カンデラリアに、エスタンシア(農業共同体)を設立。ここは教会や修道士の住居、牧場、作業場、水利施設、農家などを含めた先住民とともに自給自足の生活をするための施設であり、ヨーロッパと南米の先住民の文化の融合を示すもの。
1767年にはスペインからイエズス会の退去命令が発令するとコルドバの伝道所はフランシスコ会が運営するようになり、19世紀後半には国立大学と中等学校となりました。エスタンシアの周囲はに建造物が集まり、やがて街として発展していきます。
コルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
イエズス会伝道所とエスタンシア群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
コルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群は、先コロンブス期以降の南米の「創世記」におけるヨーロッパと先住民の文化と価値観の融合の例であるという点。
登録基準(iv)
イエズス会が南米において150年以上に渡って続けられてきた宗教、社会、経済における実験的な取り組みによって、独特の表現が生み出され、それがコルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
コルドバは17世紀からイエズス会が新大陸において伝道を進めることによって、ヨーロッパと先住民の文化や価値観が融合し、伝道所とエスタンシアには独自の建築的表現が見られるという点で評価されています。
ちなみに、スペインにもコルドバという街がありますが、これは創設者の妻のルーツがコルドバにあったということで、その名が付けられたそう。しかも、スペインのコルドバも世界遺産「コルドバ歴史地区」として登録されているという偶然。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。