登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2003年 |
チェコ南部にあるトシェビーチは、中世から20世紀までユダヤとキリスト教の文化が共存していた都市。今でもユダヤ人地区とユダヤ人墓地が残り、13世紀初頭に建造された聖プロコピウスのバシリカは、後にロマネスク様式とゴシック様式のさまざまな要素が加えられたもの。
ここではトシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トシェビーチについて詳しくなること間違いなし!
トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカとは?
ユダヤ人地区
チェコ南部のヴィソチナ州に位置する都市トシェビーチ。ここは中世から第二時世界大戦まで、ユダヤ教徒とキリスト教徒のコミュニティ同士が異文化を受け入れながら共存していました。もともとは中心部を流れるイフラヴァ川に沿って形成され、10世紀にベネディクト会修道院が建造されると、当時迫害されていたユダヤ人がこの地に居住するようになり、シナゴーグや学校、工場などが置かれました。
ユダヤ人地区は、チェコの伝統的建築物とは異なり、2階は木製の天井がある住宅で、1階は商店や工房となっていて、伝統的なユダヤ人の文化や生活様式が見られるもの。町の北部の丘にはユダヤ人の墓地があり、ここは15世紀のものと19世紀のグループに分かれていて、合計で約4000の墓石があるというチェコ最大規模の墓地でもあります。
聖プロコピウスのバシリカ
ユダヤ人地区のを見下ろす丘の上に築かれたキリスト教の聖堂で、13世紀初頭に建造。もともとはベネディクト修道院の一部でありましたが、16世紀になると修道院は城として再建されたため、バシリカとしての機能は無くなりました。もともとはロマネスク様式の建造物でしたが、フランスやドイツ風のゴシック様式も見られるもの。さらには18世紀にはバロック様式の要素も加えられ、現在に至っています。
トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トシェビーチが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカは、何世紀にもわたってユダヤ人とキリスト教の2つの異なる文化が共存し、価値観が交換されたことを証明するものであるという点。
登録基準(iii)
トシェビーチのユダヤ人地区は、中央ヨーロッパのユダヤ人のディアスポラ(民族離散)に関連する文化的伝統を残すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
トシェビーチは、ヨーロッパでは珍しく、ユダヤ人とキリスト教徒が平和的に暮らしていた町で、他のチェコの都市とは違う建築様式が見られるユダヤ人地区や墓地はそれを証明するもので、これらはユダヤ人の民族離散に関連するという点で評価されています。
ちなみに、トシュビーチはユダヤ系住民が多かったためか「トレビッチ」という姓を持つ人は現在もいます。有名なのはハンガリー生まれの「イグネイシャス・ティモシー・トレビッチ・リンカーン」という冒険家。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。