登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4) |
登録年 | 2000年 |
ロシア西部にあるタタールスタン共和国の首都カザンには、ロシアで唯一残っているタタールのクレムリン(城塞)があります。ここは13世紀から長くイスラム勢力の支配下にありましたが、16世紀にイヴァン4世がこの地を侵攻すると、キリスト教関連の建造物が作られるようになり、クレムリンには2つの文化の融合が見られるというのが特徴。
ここではカザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カザン・クレムリンについて詳しくなること間違いなし!
カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体とは?
タタールスタン共和国の首都カザン。カザンカ川とヴォルガ川が合流する丘の上に築かれたのが、カザン・クレムリン。「タタール人」とはおもにモンゴル高原・シベリアから東ヨーロッパにかけて住んでいたテュルク系の民族であるのですが、ここでは現在のタタールスタン共和国に住むヴォルガ・タタール人を指します。
カザンでは11世紀にテュルク系の遊牧民であったブルガール人が要塞を築き、前線基地として利用されていました。そして、15世紀になると、テュルク系のイスラム王朝であるカザン・ハン国によって宮殿が築かれると、ここは経済と文化の中心地となりました。しかし、1552年にモスクワ大公国のイヴァン4世によって征服されると、クレムリンは19世紀までキリスト教の建造物が築かれていきます。
現在のクレムリンには、宮殿の他に大聖堂や修道院などが並び、タタールとロシアの建築様式の統合が見られます。2005年にはかつてこの地にあったとされるクル=シャーリフ・モスクが再建され、モスクと大聖堂が同時に並ぶという独特の景観が広がるのも特徴。
登録されている主な構成資産
ブラゴヴェシェンスキー大聖堂
クレムリン中央部にある、16世紀に建造されたカザン・クレムリン最古の建造物とされる大聖堂。別名・生神女福音大聖堂。建築資材はレンガではなく、地元産の砂岩が使用されています。しかし、1930年にソ連によって取り壊され、現在建つのはソ連崩壊後に再建されたもの。
スュユンビケ塔
カザン・クレムリンのシンボル的存在であるものの、建造された年代は不明。「スュユンビケ」とは、カザンが占領された際にこの塔から身を投げて亡くなったカザン・ハンの后から由来とされますが、これはあくまでも伝説。しかし、18世紀以降からずっとこのように伝わっています。
スパスカヤ(救世主)塔
クレムリンの南側に位置する塔で、かつては修道院の一部だったもの。16〜17世紀に建造されたものですが、ロシア革命後は取り壊されました。現在は城壁の色と同じように白い塔となっていて、美しい景観となっています。
カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カザン・クレムリンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
カザン・クレムリンは、長期間利用され続けたことによって、異なる文化が交流するという文化的多様性が見られるという点。
登録基準(iii)
カザン・クレムリンには、タタール時代の構造が今でも残っていて、ロシアで唯一残っているタタールのクレムリンであるということ。
登録基準(iv)
カザン・クレムリンの建造物は、ブルガールやタタール、イタリア、ロシアなどさまざまな建築様式が統合し、イスラム教とキリスト教の融合が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
カザン・クレムリンは、タタール人が築いた要塞をベースにロシアによってキリスト教関連の建造物が築かれ、文化の融合が見られるという点で評価。そして、タタールの要塞跡が現在でも残っているというのがポイントです。
ちなみに、1804年に開校されたカザン大学はモスクワ大学に次いで古い大学で、レーニンやトルストイの出身であるほどの名門ですが…2人とも「中退」で卒業していないという。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。