中国の世界遺産「龍門石窟」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3)
登録年2000年

龍門石窟は、河南省洛陽市の南方13kmの距離にある石窟寺院。5世紀に北魏の孝文帝が洛陽に遷都した際に建設が始まり、北魏と唐の時代にかけて400年以上も仏教建築が築かれました。繊細な装飾が施された石仏は、中国における彫刻技術の最高点といえます。

ここでは、龍門石窟がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、龍門石窟について詳しくなること間違いなし!

目次

龍門石窟とは?

龍門石窟
画像素材:shutterstock

河南省洛陽市の南にある伊河沿いに位置する石窟。洛陽は古代の中国王朝がしばしば首都として定めた都で、北魏(386〜534年)の6代皇帝である孝文帝は、493年に平城から洛陽に遷都しました。その際に初めて築かれたのが、龍門石窟。石灰岩の崖に約1kmの長さにわたって、洞窟と石仏が刻まれています。

洛陽は北魏後期から唐初期にかけて中心都市でもあったため、5世紀後半〜8世紀半まで、なんとここでは石窟は2300、仏像は11万体、石碑は2800も造られました。

龍門石窟
画像素材:shutterstock

最初に築かれたのは川の西側にある「古陽洞」。その後、北魏時代にいくつか完成したものの、本格的に石窟が掘られるのは唐になってから。7〜8世紀には、唐の皇帝・高宗が築いた「奉先寺洞」が創建。ここに大仏龕(仏像や位牌などを置く部屋のこと)が築かれ、龍門石窟の中でも最大規模の石窟となっています。

そして、奉先寺洞のシンボル的存在である「盧遮那仏(るしゃなぶつ)」の高さは約17.4m。この仏の顔は高宗の妻である則天武后の顔をイメージしたと伝わっています。この石窟の初期と後期のそれぞれの建築様式は、中国を始め、アジア各国の彫刻技術に影響を与えました。

龍門石窟はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

龍門石窟
画像素材:shutterstock

龍門石窟が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
龍門石窟は、人類の芸術的な創造性によって造られた傑作であるという点。

登録基準(ii)
石窟に見られる建築様式は、アジア各国の文化の発展において非常に重要な役割があったということ。

登録基準(iii)
龍門石窟からは、唐の時代に発展した文化と社会構造がよく分かるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

とにかく、石窟の数だけでも2300もあるというから驚き!創建は北魏時代ではありますが、むしろ、唐代の建築技術の高さを示す遺産でもあります。そして、この石窟の建築技術はアジア各国に影響を与えている点も評価。

ちなみに、「盧遮那仏(るしゃなぶつ)」というとイメージが沸かないと思いますが、これは密教においては大日如来と同じものとされています。奈良の大仏も正しくは、「東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」というのが正式名称。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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