中国の世界遺産「マカオ歴史地区」とは?その場所と街並みを世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(4),(5)
登録年2005年

国際貿易港であるマカオは、16世紀半ばから1999年まで、ポルトガルの管理下にありました。町にはポルトガルと中国、それぞれの建築様式を組み合わせた邸宅や教会、要塞、広場など、歴史的建築物がいっぱい!

ここでは、今回はマカオ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マカオ歴史地区について詳しくなること間違いなし!

目次

マカオ歴史地区とは?どこの国にある?

マカオ歴史地区
画像素材:shutterstock

マカオは、中国とヨーロッパの玄関口として、世界貿易において戦略的役割を果たしてきました。1557年にポルトガルがマカオの居留が認められると、1887年には植民地となり、1999年までポルトガルに所属。現在は中国の特別行政区の一つであるものの、ここはさまざまな国籍の人々が定住し、町には劇場、大学、病院、教会、要塞が置かれたように、西洋の影響を受けてきました。 そして、これらの多くはまだ現役で使用されているのも特徴。

特に「聖ポール天主堂跡」は16世紀にイエズス会によって作られたもので、アジアで最大のカトリック教会であった場所。石造りのファサードは、シンボル的存在で、教会なのに東洋的な雰囲気も感じられるのも東西の交流地であるマカオならでは。

セナド広場/マカオ歴史地区
画像素材:shutterstock

マカオは、ヨーロッパの港湾都市の特徴を持ち、狭い曲がりくねった通りに沿って密集した区画に公共の広場があるという都市構造。「セナド広場」は、まさにヨーロッパの広場のような優雅な景観が見られます。そして、広場の間に立つ「民政総署大楼」は新古典主義様式の建築物で、行政区の本庁舎として使用されていたもの。

西洋の建物でも中国のデザインを用いたものが多く、この混在した文化が人々のライフスタイルまでも浸透していきました。今でもマカオならではの独特の文化を残り、それは宗教、教育、言語、料理など、多岐に渡って影響を与えていているというのもポイント。

マカオはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

聖ポール天主堂跡/マカオ歴史地区
画像素材:shutterstock

マカオが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
マカオは、数世紀にわたって文化、科学、技術、芸術、建築のさまざまな分野において交流が見られるという点。

登録基準(iii)
マカオは、ヨーロッパと中国の間で16世紀から20世紀まで、商人や宣教師によって文化の交流地であり、その影響はさまざまな文化の融合に見られる旧市街などに見られるということ。

登録基準(iv)
マカオは、約4世紀半にわたり築かれた西洋と中国の文明が合わさった建築物が多く点在するということ。

登録基準(vi)
マカオは、西洋文明と中国文明の間の文化、科学、技術などの交流が行われてきました。これらがその後の中国に多大な影響を与えたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

マカオは、中国から変換されてもう20年以上も経ちますが、中国本土とは違う雰囲気がまだまだ残っています。旧市街は返還前のポルトガルの町並みが感じられて、それが今でも現役で残っているという点は素晴らしいですね。

ただ評価は建築物だけではなく、文化にも及んでいます。例えば、「マカオ料理」は中華料理とポルトガル料理の融合したもの、特に「アフリカン・チキン」という香辛料を使った料理は大航海時代の名残が残っているもの。ちなみに、アフリカン・チキンは高級レストランに行くと注文することができますよ。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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