登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
中国の中央部、西安の郊外には、中国最初の皇帝である秦の始皇帝が眠る広大な墳墓「始皇帝陵」があります。そして、墳墓から東へ1.5kmには、8000体もの兵士や馬をかたどった陶器「兵馬俑」が発見され、これも合わせて世界遺産に登録。
ここでは、秦始皇帝陵及び兵馬俑坑がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、秦始皇帝陵と兵馬俑坑について詳しくなること間違いなし!
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑とは?
陝西省の省都・西安から北東へ30km。驪山の北側に位置する始皇帝陵は、紀元前3世紀に中国を初めて統一した始皇帝の陵墓です。秦は歴史上初めて中国全土を統一した広大な帝国で、中央政府が支配するというシステムを採用し、中国国内の文化と芸術の水準を大いに向上させるきっかけにもなりました。始皇帝が国を統一する前から熱心に行っていた自らの霊廟の建設。
始皇帝陵
紀元前246年に建造が始められ、40年近くも建設が続き、紀元前208年に完成。陵墓は截頭方錐型で高さは76m。広さは東西345m、南北350m。その陵墓を囲むように2つの城壁で囲まれていて、約51mの高さまでは残存。城壁は内城と外城に分かれていて総面積は約52平方kmとされています。敷地内には、神殿や祭祀施設があったとされていますが、墓は現在発掘が行われていません。
歴史家の司馬遷によると地下宮殿の存在が記録されており、そこには水銀の川や海が造られていたとされていますが、実際に地下には水銀が流されていたという跡も発見されています。
兵馬俑坑
始皇帝陵から東へ約1.5km離れた距離にある陪葬杭。これは1974年に村の住民が井戸を掘ろうとした際に発見したもの。ここでは8000体の兵馬俑と大量の青銅器の武器が発見されました。「俑」とは、粘土で造られたもので、これは古代中国では死者と一緒に埋葬されていました。かつては彩色されていたと考えられ、どれも顔つきが違うというのも特徴。
「兵馬俑」というと、兵士と馬だけのようなイメージを与えますが、文官や芸人など、さまざまなタイプもあります。現在では始皇帝が来生に人々を連れて行こうとするために建造したものとされています。
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
秦始皇帝陵と兵馬俑坑が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
兵馬俑坑は中国の初期王朝において代表的な彫刻品で、これには当時の卓越した技術と芸術が見られるという点。
登録基準(iii)
兵馬俑は、春秋戦国時代と秦の時代の軍人の姿を残す資料になっているということ。
登録基準(iv)
始皇帝陵は中国でも最大の陵墓で、敷地は首都であった咸陽をモチーフにしたという独特のデザインであるという点。
登録基準(vi)
始皇帝陵の建設は中国初の統一王朝・秦において国家プロジェクトになるほど重要な役割を持っていたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
始皇帝陵は、中国でも最大の陵墓で、始皇帝が国家プロジェクトとして熱心に進めていたということもあり、記念碑的な要素も非常に強いという点でも評価されています。そして、兵馬俑坑では当時の軍人たちの服装や武器などが詳細に分かるという点もポイント。
ちなみに、漫画『キングダム』でも有名になった始皇帝こと嬴政。アニメのエンディングテーマでは、登場人物たちが兵馬俑になっていましたが、兵馬俑は身分が高い人から庶民まで造られたので、実際に将軍たちの顔を表した俑もあったかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。