登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (5) |
登録年 | 2020年 |
メルカ・クントゥレとバルチットはエチオピア高地にあるアワッシュ渓谷の上流に位置していて、地殻変動によって沖積堆積物や火山堆積物によって覆われたエリア。この地には先史時代の化石や石器などが埋まっていて、これらは170万年前に現人類が高地に適応しながら居住したことを示す証拠でもあります。
ここではメルカ・クントゥレとバルチット:エチオピア高原地域の考古学的・古生物学的遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、メルカ・クンツレとバルヒトについて詳しくなること間違いなし!
メルカ・クントゥレとバルチット:エチオピア高原地域の考古学的・古生物学的遺跡とは?
エチオピア中心部にあるメルカ・クントゥレとバルチットは、首都アジス・アベバから南方へ約50kmの距離にある遺跡。ここは標高約2000mの高地にあり、エチオピア東部を流れるアワッシュ川の上流に位置しています。この地は鮮新世(約500万年前〜約258万年前)と更新世(約258万年前〜約1万1700年前)に地殻変動によって、沖積堆積物だけでなく、周辺の火山による堆積物によって覆われ、地下には先史時代の動物や人類の化石、石器などが保存されるという環境が形成されました。
20世紀に行われた考古学調査の結果、動物の化石だけでなく、ホモ・エレクトスや初期ホモ・サピエンスの化石、彼らが使用した石器などが発見されています。地層はオルドワン石器文化(約260万年〜約180年前)から後期旧石器時代(約3万年〜約1万年前)までのもので170万年以上に渡る人類の進化を残す資料館のようなもの。
この地域の主な水源はバルチットと呼ばれる場所で、流紋岩(りゅうもんがん)ドームとなっています。それらがアワッシュ川に沿って堆積していったため、特に川の周辺では黒曜石が多く発見され、黒曜石の石器がほぼすべての遺跡で見られるのが特徴。
メルカ・クントゥレとバルチット:エチオピア高原地域の考古学的・古生物学的遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
メルカ・クンツレとバルヒトが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
メルカ・クントゥレでは、先史時代に人が暮らした跡が見られ、火山岩を砕いて石器として使用していました。ここは堆積による地形のであり、そこから人類の進化と適応が見られ、かつて遊牧生活を送っていた人々の生活様式を記録しているという点。
登録基準(iv)
メルカ・クントゥレは、更新世の風景がよく保存された保管庫のようなものであり、先史時代の人類の環境や生活様式を記録した遺跡でもあります。バルチットは、流紋岩ドームにより、先史時代から有史時代までいくつもの黒曜石を道具として利用するために蓄積してきた破片が散らばっていて、現生人類と黒曜石の石器の起源の関係も分かるということ。
登録基準(v)
メルカ・クントゥレは、農業や牧畜を行っていなかった時代のホモ・エレクトゥスやホモ・サピエンスが暮らした跡が見られ、彼らは動物を食料としながら、エチオピアの高地への適応した様子が見られます。ここは170万年以上に渡る考古学的記録が残っているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
メルカ・クントゥレは、地殻変動によって堆積物に覆われることにより、先史時代の原人や人類の化石・石器だけでなく、動物や植物などの化石が発見され、人類による高原地帯での適応が見られます。バルチットはこのエリアの水源となっていて、川沿いの黒曜石は石器などで利用され、その景観は現生人類と黒曜石の関係性も見られるという点で評価されています。
ちなみに、オルドワン石器はヒト科においては世界最古の石器と言われているだけあって、かなりシンプルなもの。この石器はホモ・ハビリスやホモ・エレクトゥスが使い始めたとされていますが、なんとアウストラロピテクスによって初めて造られたという説もあるほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。