登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2014年 |
南漢山城は、ソウルの南東に位置する山城。ここは李氏朝鮮時代の臨時首都としての機能も持つ要塞でした。古来からこの地には要塞はありましたが、現在見られるものは17世紀初頭に中国からの侵攻に備えて完成させたもの。ここは当時最先端の武器である西洋式火薬からの防御に備えていて、日本と中国の築城技術が取り入れられています。そして、南漢山城は韓国内の要塞建築にも影響を与えました。
ここでは、南漢山城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、南漢山城について詳しくなること間違いなし!
南漢山城とは?
南漢山城は、ソウルの南東25kmの山岳地帯に位置し、14〜20世紀に繁栄した李氏朝鮮王朝時代に臨時首都にもなるように設計されたもの。最古の建築物跡は7世紀に遡るとされますが、現在見られる山城は17世紀に当時の清国が韓国へと侵攻した際に防衛を目的として整備されました。ここは僧兵によって建造され、そして、僧兵によって守られた城というのも特徴。
城は日本と中国の築城技術が導入され、当時の最先端技術であった西洋式の火薬からも防御できるような堅固な城でした。最大で4000人もの収容できたとされるほどの広大な山城で、行政と軍事の両方の拠点として韓国の王権のシンボルでもあります。
しかし、朝鮮戦争の際に城壁と城内の建造物は破壊されてしまいました。1970年代になると復元作業が始まり、道立公園に指定されました。現在は多くの市民が訪れる憩いの場となっています。
南漢山城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
南漢山城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中国の建築技術やヨーロッパから持ち込まれた火器の対策などが施された、17世紀初頭のアジアを代表する要塞で、当時は韓国の山城建築の重要な転換期であり、その後の要塞建設に影響を与えたということ。
登録基準(iv)
南漢山城は臨時首都が置かれた場所でもあり、僧兵によって建設され、彼らによって守られた、要塞建築の傑作であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
南漢山城は、西洋式の火器に対抗すべく、中国と日本の建築技術を取り入れた17世紀を代表する要塞建設だったという点で評価。そして、臨時首都としての機能を持つほどで、その後の要塞の建築設計に影響を与えたというのもポイント。
南漢山城があるのなら、北漢山城もあったのか?という話になりますが、実は16世紀の第11代の中宗の時代にソウルの北側に城が築かれていました。しかし、その後は廃墟となりましたが、「北漢山」という地名だけはそのまま残っています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。