登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 2007年 |
アドリア海の入口に位置するコルフ島は、戦略的に重要な場所で、紀元前8世紀から多くの国々に支配されてきました。特に15世紀になると、ヴェネツィア共和国の領土となり、旧市街に位置する3つの要塞はこの時代に建造されたもの。ここは地中海の港湾都市として保存状態が良いのが特徴。
ここではコルフ(ケルキラ)旧市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コルフ旧市街について詳しくなること間違いなし!
コルフ(ケルキラ)旧市街とは?
地中海に浮かぶコルフ(ギリシャ語で「ケルキラ」)島は、アドリア海の入口にあり、肥沃な土地もあることから、島の東岸には紀元前8世紀から同名のギリシャの植民都市が築かれました。ここはローマやイリュリア人、ノルマン人などに支配されていきますが、15世紀には当時アドリア海を支配していたヴェネツィア共和国の領土となりました。19世紀にイギリスの保護領となると、最終的にはギリシャ領となります。
現在の旧市街には、ヴェネツィア時代にイタリアの建築家ミケーレ・サンミケーリによって設計された3つの要塞が残り、ここは4世紀に渡って当時のオスマン帝国から海上交易権を守るために利用され続けたもの。旧市街には新古典主義の住宅が並び、これはヴェネツィア時代のものもあれば、19世紀のイギリス領時代の改築されたものも存在します。ここは地中海における要塞を持つ港湾都市として、現在もその姿を残すもの。
コルフ(ケルキラ)旧市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
コルフ旧市街が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
コルフの旧市街は、ヴェネツィア時代の要塞が残る港湾都市となっていて、要塞は古いものからイギリス時代に改良された跡まで残り、古典主義様式の町並みは保存状態が良好であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
コルフは、アドリア海の入口に位置することから古くから他国から支配され、特に現在の町並みは15世紀以降の海洋帝国であったヴェネツィア時代に建造され、その後のイギリス領時代に改築されるものの、古典主義様式の建造物が残る都市であるという点で評価されています。
ちなみに、イギリス領の時代のコルフは「イオニア諸島合衆国」の首都で、ギリシャ沿岸の島々を含めていたのですが、その中の一つであったレフカダ島で生まれたのが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。といっても1歳の時にアイルランドへ移住したので、記憶はほとんどないでしょうけど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。