登録区分 | 文化遺産(危機遺産 2014年〜) |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
ポトシは、ボリビア南部にある標高4090mにある都市で、16世紀には「セロ・リコ(富の山)」と名付けられた銀鉱山を運営するために建造されたもの。街の周囲には水路と人造湖が築かれ、中心部には貴族の邸宅から労働者の居住区など、当時建造されたものが現在でも残っているという点で評価。
ここでは、ポトシ市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポトシについて詳しくなること間違いなし!
ポトシ市街とは?銀山はどこにある?
ボリビアの南部、アンデス山脈の盆地に築かれた都市。ポトシ県の行政府所在地であり、標高は4090mと人が住む場所としては最も高い位置にある都市の一つ。こんな高所に街が建造されたのは、16世紀前半に銀鉱山が発見されてから。
ここはもともとは小さな集落があったとされますが、1545年に銀鉱山である「セロ・リコ(富の山)」が発見されると、1546年に鉱山町が建設。1572年にスペイン国王フェリペ2世は総督フランシスコ・デ・トレドを派遣し、「帝国都市」として貯水池や水道などを造り、町を大幅に整備します。
スペイン帝国の主要な銀の供給源であったポトシでは、アマルガム法という鉱石と水銀を水で撹拌して銀を作る技法が採用され、17世紀半ばまで約100年で世界の銀産出量の半分がここで採掘されるまでに発展。そして、ここには最大で20万人もの人々が住むようになりました。しかし、19世紀には鉱山の銀が枯渇。今度は錫が採掘されるようになったものの、現在は錫もほぼ枯渇してしまいました。それでも採掘は続けられています。
大きな開発もなかったため、街にはかつて市民によって利用されていた旧造幣局や教会、修道院、貴族の邸宅、労働者の居住区などが当時の姿のまま残っています。これらは当時の銀山の労働者であったインディオの文化を取り入れた「アンデス・バロック」と呼ばれるカラフルな建造物が並ぶもの。
セロ・リコ(富の山)
1545年にスペイン人により発見された銀鉱山。これは「豊かな丘」という意味で、インディオの奴隷によって採掘が行われたした。採掘は途中で死の可能性もある大変危険な作業。現在では鉱山の坑道に入るツアーが行われていて、ダイナマイトを使って発破の様子を見せれてくれることも。
危機遺産
2014年の世界遺産委員会にて、銀山の管理が今では不十分であるとして、現在は危機遺産として登録されています。
ポトシ市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ポトシが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ポトシ市街は、スペイン帝国による「帝国都市」ではあったものの、インディオの文化を取り入れたアンデス・バロック様式の建造物が多く並ぶということ。
登録基準(iv)
ポトシは銀鉱山だけではなく、貯水池や造幣局など、当時の最先端の技術が施された鉱山都市の優れた例であったという点。
登録基準(vi)
ポトシは一時期、世界の銀産出量の半分がここで採掘されたとされ、16世紀の世界経済に大きな変化をもたらしたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ポトシは、スペインによる帝国都市として繁栄したため、銀山と関連施設は当時としては世界でも最先端のものでした。しかし、ここではあまりにも銀が採れすぎたため、世界経済に大きな影響を与えたほど。そして、インディオが奴隷として連れてこられたため、彼らの文化が街の建築物にも反映されているというのもポイント。
ちなみに、鉱山の坑道には、ティオと呼ばれるおじさんっぽい神様の像が置かれています、これは坑内の安全を守るという神であったのですが、お酒やタバコを与えてご機嫌をとるというのが安全祈願であったそう。ちなみに、これは偉そうなスペイン人を模して造られたという説もあるとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。