登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 1985年(1986年拡大) |
チュニジア北東部にあるケルクアンは、紀元前6世紀に設立されたフェニキア人の都市。現在は古代都市と共同墓地が遺跡となっています。第一次ポエニ戦争(紀元前264年〜紀元前241年)によって放棄された後、ローマ人によって再建されなかったため、ここは世界でも唯一の古代カルタゴの街の様子がそのまま見られるという重要な都市遺跡に。
ここではケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ケルクアンについて詳しくなること間違いなし!
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡とは?
チュニジア北東部にあるボン岬は、アフリカ大陸から地中海に突き出た半島。近くにはフェニキア人の国家カルタゴ(首都)がありますが、半島の先端の崖の上には、同じくフェニキア人の都市であったケルクアンがあったことで知られます。ケルクアンは紀元前6世紀に設立されました。
地中海に点在するフェニキア人の都市はカルタゴ、ティルス、ビブロスはローマによる征服後、ローマの都市へと変貌。しかし、ケルクアンは1952年に発見された時は、紀元前4世紀末〜紀元前3世紀前半に遡る港、城壁、住宅、商店、工房、道路、神殿まで当時のまま残されていました。これは第一次ポエニ戦争によって破壊された後、再建されなかったというのが理由。ケルクアンはおもに職人の街で、各家庭にはそれぞれ保存状態の良い浴槽が残されていたことから、しっかりとした排水設備が存在したことがわかります。
古代都市の北西約1kmほどの距離にある丘の上には、ネクロポリス(古代の墓場)があり、フェニキア人の葬祭にまつわる建造物も点在するのが特徴。
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ケルクアンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ケルクアンの古代カルタゴの町は、紀元前3世紀に放棄されて以来、人が住むことがなく、フェニキア人の都市計画が分かるもの。これは地中海に暮らしたフェニキア人独自の広くてまっすぐな通りが市松模様のように張り巡られているという正方形の都市で、住宅や宗教施設、職人の工房など、紀元前6世紀から紀元前3世紀までのフェニキア人の都市の様子が今でもわかります。この都市の発見によりフェニキア人に関する研究について大きく貢献するものであったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ケルクアンは、古代カルタゴの都市で戦争により破壊されたことから、人が住むことがなく、そのまま遺跡となったため、他の地中海のフェニキア都市とは違って、フェニキア人による都市計画や市民の暮らしなどが分かり、フェニキア人に関する研究において重要な遺跡であるという点で評価されています。
ちなみに「ポエニ」とは、ラテン語でフェニキア人を意味し、穀倉地帯であるシチリア島を狙ってローマとカルタゴが争った戦争にその名称が使用されました。結果的にカルタゴは負けることになるのですが、この戦争の勝利によってローマが地中海の盟主となったことから、歴史の転換点でもあった戦争とも言えますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。