登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2014年 |
カパック・ニャン(インカ道)は、6ヶ国にまたがった道の遺産。これは標高6000m級の山々を中心に3万kmにもなる街道で、これらはインカ帝国の交通を支えていました。そして、273もの構成資産からなるシリアル・ノミネーション・サイトで、地域住民によって保護されてきたというのも特徴です。
ここではカパック・ニャン アンデスの道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、インカ道について詳しくなること間違いなし!
カパック・ニャン アンデスの道(インカ道)とは?
カパック・ニャンは、インカの人々によって数百年にも渡って築かれ、北からコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる3万kmの街道。ここは約6000m級の山々、熱帯雨林、渓谷、砂漠などを通る、世界でも最大規模の道路網でもあります。
もともとはインカ帝国が築かれる以前から存在していた道を活用しつつ、新たな道を加えていき、15世紀には最大範囲に。カパック・ニャンはインカ帝国の首都であるクスコの広場から、東西南北に延びる4つの道が主要道路で、インカ道はその主要道路を細かくカバーするようになっていました。そして、道沿いは整備され、飛脚小屋や宿駅、役所、宗教施設など、さままざまな関連施設が建造。そして、道路には橋や階段、石畳なども設置され、その卓越したインカ帝国の建築技術も見られます。
しかし、現在のカパック・ニャンは都市開発や農場の建設が進んだ影響、さらに自然災害などもあり、正確な長さも分からず、保護されるのも道沿いの遺跡ばかりで管理が難しいというのが現状。しかし、一部の路線は地元の住民にとっては必要な道だったりするために、彼らによって保護され、維持されているというのも特徴です。
アンティ・スウユ(東方)
クスコを出て、オリャンタイタンボというインカ帝国の砦を通り、空中都市マチュピチュなどを含めた街道。ここは金とコカの運搬などで使用されていました。
クンティ・スウユ(西方)
クスコからナスカを通って南下するルートで、乾燥させた海産物を運ぶルートでもありました。
コリャ・スウユ(南方)
現在のペルーとボリビア国境とのティティカカ湖やコパカワナを通り、ボリビアの首都ラ・パスと郊外のティワナク、チリのアタカマ砂漠を通り、チリ・アルゼンチン中部までを結んでいたルート。
チンチャイ・スウユ(北方)
最も地形の変化が多いインカ道で、鉱山や温泉、盆地などを通っていき、エクアドル、コロンビア南部までを結ぶ壮大なルート。
カパック・ニャン アンデスの道(インカ道)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
インカ道が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
インカ道は、アンデスにおいて何千年もに渡って文化が進化したことを示し、インカ帝国の繁栄と拡大を示すものであるということ。
登録基準(iv)
インカ道には、道路横の溝、階段、排水路など、地形や環境によってさまざまな設備が加えられ、これらは卓越した建築技術によって築かれたものであったという点。
登録基準(vi)
インカ道の発展により、その文化や伝統が伝わっていき、現在でもインカ道沿いのエリアには伝統的な風習や交易などが残り、道を通じてアンデスに住む人々のアイデンティティを共有することになったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
インカ道はインカ帝国の基盤であり、道はさまざまな地形に合わせて高度な建設技術によって整備されていたという点で評価。そして、道そのものの価値だけではなく、インカ道が整備されることで、帝国中心部から文化や風習が伝わっていき、帝国全体で一つの文化を共有できたということもこの遺産のポイント。
インカ帝国の正式名称は、「タワンティン・スウユ(4つの地方)」。つまり、4つのインカ道というのは、それぞれの地方を結ぶ道であり、それらがインカ帝国の首都・クスコまで結ばれることで帝国支配の基盤を支えるという目的であったのです。
ちなみに、インカ帝国には馬のような家畜がいなかったため、移動はほぼ徒歩だけだったとされています。だからこそ、狭い山道を網羅することができたのかもですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。