登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1997年 |
イタリア南部にあるカゼルタには、かつてこの地がスペイン・ブルボン王朝によって支配された時代に建造された王宮があります。ここは18世紀にカルロス3世がナポリ王となると、フランスのヴェルサイユ宮殿に対抗できるほどの規模を持つ壮大な宮殿が建造されました。他にも庭園内の噴水に水を引くために作られた「ヴァンヴィテッリの水道橋」、彼の息子であるフェルディナンド4世によって絹産業を発展させることを目的にした「サン・レウチョの邸宅群」も世界遺産に登録。
ここではカゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カゼルタについて詳しくなること間違いなし!
カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群とは?
カゼルタ宮殿
カゼルタは、カンパニア州の州都ナポリから北東へ約27kmの位置にあり、ここには1752年にスペイン・ブルボン家の王子だったナポリ王カルロ7世(1716〜1788年、後にスペイン王カルロス3世として即位)が建造した宮殿と庭園があります。ここはお抱え建築家であったルイージ・ヴァンヴィテッリによって曽祖父のルイ14世のヴェルサイユ宮殿に対抗するほどに豪華絢爛な宮殿が建造。
後期バロック様式から初期新古典主義様式に属する宮殿は4つの中庭を持ち、1200の部屋と34もの階段室を持ち、王宮であり、官公庁としのて機能もあるという構造が特徴。どちらかというと、スペインのエスコリアル宮殿のような側面を持ちます。庭園は人工の噴水と長い水路が配されたフランス式の公園ではありますが、英国式庭園(自然風景式庭園)もあり、これはヨーロッパの大陸側にある最も広大で最も古い英国式庭園の一つ。
ヴァンヴィテッリの水道橋
カゼルタ郊外にあるマッダローニに建造された水道橋。カゼルタ宮殿の噴水やサン・レウチョの工房では大量に水が必要だったためのインフラでもありました。
ここはルイージ・ヴァンヴィテッリによって設計されたためにその名前が付けられ、また別名は「カロリーノの水道橋(王の水道橋)」と呼ばれます。全長は38kmにも及び、ローマ建築をモデルにしていて、最大で55.8mもの高さを誇る箇所もありますが、ほとんどが地下に建造されているのが特徴。
サン・レウチョの邸宅群
カゼルタ宮殿の北西に位置するエリアで、絹工場と労働者たちの住宅群。ここはカルロ7世時代は実験場と狩猟場がありましたが、フェルディナンド4世(1751〜1825年、シチリア王としてはフェルディナンド1世)によって本格的な絹工場や織物工場が築かれ、労働者のために邸宅や学校、病院なども併設されていきました。これらは当時のヨーロッパにおいても最先端の産業都市の構造が見られるもの。
カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カゼルタが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
カゼルタの18世紀の王宮は、自然景観のなかで大規模な開発であり、啓蒙主義の精神による建造物であったという点。
登録基準(ii)
カゼルタの複合施設は、革新的な建設計画によって築かれた景観で、ヴァンヴィテッリの水道橋は歴史的にも優れた建築物でもあり、ここは人類の価値観の交換が見られるということ。
登録基準(iii)
カゼルタの複合施設は、当時流行し始めた新古典主義の中で、ウィトルウィウス(古代ローマ時代の建築家、彼の理論は古典的建築の基準でもあったもの)の機能性や美しさなどの法則が見られる、スペイン・ブルボン王朝によって実現した都市計画の例であったという点。
登録基準(iv)
絹の生産で繁栄したサン・レウチョは、その始まりと運営の根底には理想主義的なものがあったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カゼルタの建造物は、スペイン・ブルボン王朝によって築かれた、フランスのヴェルサイユ宮殿を意識したものの、新古典主義様式にも属した革新的な建造物でもありました。宮殿の近くに建造されたサン・レウチョは、理想主義的な産業都市の先駆け的存在であるという点で評価されています。
ちなみに、フェルディナンド4世はスパゲッティが大好きで、当時のスパゲッティは手づかみで食べるものでしたが、妻から下品だと否定されたことからフォークを使用したとされる人物。ある意味、現在のスパゲッティの食べ方を最初に実践した人でもありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。