登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1989年 |
サーンチーは、インド中部ボパール郊外にある仏教遺跡。ここは釈迦の遺骨が安置しているとされるストゥーパ(仏塔)が3つもあり、特にストゥーパの第一塔はマウリヤ朝のアショーカ王が紀元前3世紀に築いたもの。ここは12世紀まで仏教の聖地として古くから栄えた地。
ここではサーンチーの仏教建築物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サーンチーについて詳しくなること間違いなし!
サーンチーの仏教建築物群とは?
サーンチーは、インド中部マディヤ・プラデーシュ州のボーパールから北東へ約40km離れた仏教遺跡。ここは3つのストゥーパと祠堂、僧院などが点在しています。
マウリヤ朝のアショーカ王(紀元前304〜232)はインド亜大陸をほぼ統一し、広大な領土を得ました。そして、彼は熱心な仏教徒で、8万を超えるストゥーパを各地に建造したとされています。彼は特にここを重要視していて、8つのストゥーパを建造したと伝えられますが、現在は3つのストゥーパが残存。他にも多数の祠堂や僧院の遺跡が残り、12世紀まで聖地として栄えました。
その後、19世紀に再発見されるまでは廃墟となっていて、20世紀前半に本格的な調査が始まりました。ここはインドでも最初期の仏教建築が残る遺跡で、特に彫刻に関しては初期の仏教美術が分かるもので大変貴重。
ストゥーパ
紀元前3世紀にアショーカ王によって建造されたもの。それぞれ第一塔、第二塔、第三塔とされていて、その後、マウリヤ朝以降、シュンガ朝(紀元前2〜1世紀)、グプタ朝(4〜6世紀)を経て現在のような形に完成しました。特に第一塔は紀元前後に増築されたもので、創建当時の姿を残します。
第一塔はドームのような形状になっていて、高さは約16.5mにもなるほどの大きさ。ここはもともとは釈迦の遺骨を埋めるための木造の塚ではあったものの、レンガを重ね、やがて現在のドーム状になりました。グプタ朝時代に、周囲には欄楯と呼ばれる柵が架けられ、東西南北にトーラナと呼ばれる鳥居のような塔門が配置されます。トーラナの飾り彫刻は、神々や動物など、モチーフはさまざま。
サーンチーの仏教建築物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サーンチーが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
美しい彫刻が施されたトーラナがあるストゥーパ第一塔や祠堂、僧院など、ユニークな作品が並ぶという点。
登録基準(ii)
アショーカ王によって築かれたサーンチーは、ストゥーパを介してマウリヤ朝の領土全体への仏教布教の拠点であったということ。
登録基準(iii)
サーンチーは古くから聖地であり、ヒンドゥー教がインド全土に布教した後でも仏教徒にとって重要な地であったという点。
登録基準(iv)
サーンチーのストゥーパ第一塔と第三塔は、アショーカ王が建造したストゥーパでも最も完成度の高いもので、最初期の塚の形が現在でも継続して残っているという点。
登録基準(vi)
仏陀はここに一度も訪れたことはないとされるものの、その後、弟子たちによってサーンチーは聖地とされ、最も古い仏教の聖地の一つになったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
実は仏陀はサーンチーを一度も訪れたことがないとされるものの、ここは3つのストゥーパが残り、仏教関連の施設の跡があったとされることから、仏教最初期の聖地とされています。そして、サーンチーは8つもストゥーパがあったとされ、ここは仏教布教の拠点ともなったというのもポイント。
ちなみに、日本のお寺には三重塔や五重塔があったりしますが、そもそものルーツはストゥーパにあって、実は今でも寺院における塔はストゥーパと同じ役目があるのです(とはいえ、釈迦の遺体はないのですが…)。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。