登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (6) |
登録年 | 1985年 |
スペイン北西部にある中世キリスト教三大巡礼地のひとつ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。町は10世紀以降にレコンキスタの最前線となり、ロマネスク様式、ゴシック様式、チュリゲラ様式(バロック様式を基にした様式)の建設物で構成される旧市街は、イベリア半島北部の芸術の発展に影響を与えました。
ここでは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サンティアゴ・デ・コンポステーラについて詳しくなること間違いなし!
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)とは?
スペイン・ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラは、中世ヨーロッパのキリスト教三大巡礼地のひとつ。ここはかつて、8〜10世紀に栄えたアストゥリアス王国の領地であった場所。9世紀にここでイエスの十二使徒の一人、聖ヤコブのものとされる墓が発見されました。そして、当時の王であったアルフォンソ2世によって墓の周りに聖堂が建設され、巡礼者を迎え入れるための町も設立。聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ」と呼ばれ、これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの旧市街の起源でもあります。
しかし、この頃のイベリア半島は北側のキリスト教徒と南側のイスラム教徒で争っていて、10世紀になると町は完全に破壊されてしまいますが、11世紀には再建されます。
旧市街には、ロマネスク様式、ゴシック様式、チュリゲラ様式(バロック様式を基にしたもの)、新古典主義の建物が並んでいます。ここは芸術の都であると同時に、キリスト教勢力の最前線でもあり、レコンキスタを想定した軍事拠点でもありました。やがてカスティーリャ=レオン王国がここを支配するようになると、この地を目指して多くの巡礼者が訪れるようになります。徐々に巡礼路が増えていき、フランスとスペインそれぞれの巡礼道が世界遺産にも登録。
登録されている主な構成資産
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
9世紀に聖ヤコブの墓を中心に作られた聖堂がベースになっています。現在の大聖堂が建設されたのは12〜13世紀にかけてロマネスク様式で建造されたもの。1188年には彫刻家マテオによって正門として「栄光の門」が建造され、門は3つに分かれており、200ほどの像で飾られています。18世紀には西正面のオブラドイロ門にあるロマネスク様式のファサードは、チュリゲラ様式に改築され、これはこの大聖堂を代表する優雅なデザイン。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サンティアゴ・デ・コンポステーラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、中世ヨーロッパのキリスト教三大巡礼地のひとつで、ロマネスク様式の傑作である大聖堂のように芸術作品が多く残るという点。
登録基準(ii)
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、イベリア半島北部の建築や芸術の発展に影響を与えたということ。
登録基準(vi)
聖地は何世紀に渡って栄え、巡礼者は北方からも聖ヤコブのシンボルであるホタテを持って訪れるほどに中世においては重要な地であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、聖ヤコブの墓があるということで聖地となり、キリスト教の大聖堂と関連施設が多く建造されると、中世であってもスカンジナビア半島からも巡礼者が訪れるほどであったという点で評価。そして、ここには大聖堂があることで、最先端の建築様式が施されていたため、ここをモデルにイベリア半島の建築様式や芸術が発展したというのもポイント。
ちなみに、この聖ヤコブはゼベダイの子で、聖ヨハネの兄のほうのヤコブ。イエスの弟子には、アルファイの子「ヤコブ」もいたのでので、同名の彼と分けるために、ゼベダイの子のほうが「大ヤコブ」、アルファイの子のほうを「小ヤコブ」と区別するのが一般的です。とはいえ、小ヤコブには聖地はなく、どういった人物だったかも不明のままです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。