登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
首都メキシコシティから北東へ約50kmにあるのが、1〜7世紀に栄えたテオティワカン文明の都市遺跡。ここには太陽と月のピラミッドなどの600基のピラミッドやケツァルコアトルの神殿が、整然と並んでいます。ここには高度な文明があったとされ、この都市で生まれた文化や芸術は中米一帯に広がっていきました。
ここでは、古代都市テオティワカンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。テオティワカンこれを読めば、について詳しくなること間違いなし!
テオティワカン文明とは?
テオティワカンは、メキシコ中央部、首都メキシコシティから北東へ約50kmにある都市遺跡。12世紀にはここは既に廃墟となっていましたが、この地を支配したメシカ人(アステカ人)によって、「神々の都市(テオティワカン)」と呼ばれるようになりました。ここに人々が住み始めたのは紀元前200年前後。やがて都市が築かれ、1〜7世紀には15万000人もの人々が住む大都市へと成長しました。
この都市を中心に文明が発展したため「ティオティワカン文明」と呼ばれています。しかし、どのような民族が住んでいたのかは今でも不明。ただ黒曜石の加工場があったことから、黒曜石の交易で繁栄した都市と考えられています。
都市遺跡には何が残っている?
テオティワカンは、北に月のピラミッド、そこから南北に貫く「死者の大通り」があり、太陽のピラミッドへと続きます。さらに南側にはラ・シウダテラ(城塞)と呼ばれるエリアがあり、ここにはケツァルコアトル(「羽の生えた蛇」を意味する神)の神殿が配置。
ほとんどのピラミッドは、タルー(傾斜した石壁)とタブレロ(垂直な石壁)を交互に積む「タルー・タブレロ方式」という建築様式で造られたもの。この都市計画はその後、各地で建造される都市に影響を与えました。
都市は4〜7世紀に36平方kmもの広さがあったとされるものの、これだけ繁栄したテオティワカンは7世紀に衰退し、廃墟となりました。おもな原因としては火事だとされますが、これに関してははっきりしていません。
16世紀にメシカ人(アステカ人)の国であったアステカ帝国を滅ぼしたスペイン人は、遺跡の価値には気づかず、遺跡の発掘調査が本格的に始まったのは19世紀後半。それでも現在見られるのは都市のわずか10%。今でも発掘は続き、新たに宮殿や住宅地なども発見されています。
アステカ文明との違いは?
現在のメキシコの首都メキシコシティにはテスココ湖と呼ばれる湖があり、その小さな島を開拓してアステカ帝国(14〜16世紀にメキシコ高原に栄えた国)の首都テノチティトランが築かれました。この島には運河が作られ、対岸に向かって3つの橋がかけられてたという「水の都」でした。
既にアステカ文明が繁栄したころには、テオティワカン文明は滅んでいましたが、アステカ神話によると、ケツァルコアトルはテオティワカンの主神であるということから、彼の文明のルーツの一つであったとも考えられています。
登録されている主な構成資産
太陽のピラミッド
200年頃に建造されたとされる600基ある中でも最大の規模のピラミッド。底辺の幅は225mもあり、現在の高さは65m。上部の神殿を含めると75mもあったとされています。夏至に太陽がピラミッドに沈むように見えるよう設計されており、高度な天文学によって建造されたもの。
「太陽」とは名付けられているものの、これはメシカ人(アステカ人)によって名付けられ名称で本当の名前は不明のまま。壁画はほぼ現存せず、一部だけが残っています。
月のピラミッド
遺跡の北側に立つ、太陽のピラミッドの次ぐ大きさを誇る建造物。底辺の幅は140mもあり、高さは46m。何度か増築されていてたことがわかっており、何層にも覆いかぶさるようになって現在の形になっていると考えられています。そして、ピラミッド内には墓所がいくつか発見され、そこには人骨や動物の骨、捧げものなども発見。
ケツァルコアトルの神殿
遺跡の南側にある、3番目に高い建造物。150〜200年頃に建造されたと考えられています。階段の横の彫刻など、ケツァルコアトルをモチーフにした石像が多く設置されていることから「ケツァルコアトルの神殿」と呼ばれています。
古代都市テオティワカンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
テオティワカンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
テオティワカンの建築物は、メキシコの古代文明の中で最も発達したものであったという点。
登録基準(ii)
テオティワカン文明の影響は、メキシコの中央部やユカタン半島、現在のグアテマラまで及んだということ。
登録基準(iii)
広大なテオティワカンの遺跡は、古代メキシコ以前の都市構造を証明しているということ。
登録基準(iv)
死者の大通り沿いにあるピラミッドや神殿は、ヨーロッパ人が訪れる前に栄えた文明の儀式のために使用されたと考えられる建造物であったということ。
登録基準(vi)
8世紀に都市が荒廃した後も、14世紀にこの地に勃興したアステカ帝国にとっても聖地のような場所で「神々の都市(テオティワカン)」と呼ばれる存在になっていたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
テオティワカンは中米の文明の中でもかなり古い歴史を誇り、ピラミッドや神殿などが残存するように、ここが神々への祈りの場であったということが分かっています。そして、7世紀には滅んでしまいましたが、その後メキシコ中央部で繁栄したアステカ帝国においても聖地にされるほどに重要視されていたという点でも評価されています。
実は太陽のピラミッドは世界でも3番目に高いピラミッドなのです。ギザの三大ピラミッドの中でも一番小さいメンカウラーのピラミッドの高さは62mで、太陽のピラミッドは63m。微妙に太陽のピラミッドのほうが高いという結果に。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。