登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 2024年 |
ヨルダン北部、シリアとの国境沿いにあるウンム・アル=ジマルは、1世紀から8世紀まで人々が暮らしていたという都市遺跡。ここは砂漠の乾燥地帯に各時代の建築物が多く並んでいて、それぞれ保存状態も良好であるというのが特徴です。
ここではウンム・アル=ジマルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウンム・アル=ジマルについて詳しくなること間違いなし!
ウンム・アル=ジマルとは?
ヨルダン北部に位置するマフラク県にあるウンム・アル=ジマル。ここは1世紀から8世紀まで700〜800年に渡って繁栄した都市でした。1〜3世紀には、近郊のボスラの衛星都市として、砂漠の遊牧民ナバテア人が暮らします。当時は質素な石造りの家々が並んでいたものの、3世紀に近隣の都市パルミラの反乱によって破壊。その後、4〜5世紀にローマ帝国によって再建されたため、神殿や貯水池、城壁、門などの遺構が今でも残っています。当時は要塞の機能も持っていました。
5世紀から8世紀になると、ビザンツ帝国が支配するようになり、ここは農業と交易を中心とした都市となりました。人口が増加したために150件の家と16もの教会も建造され、これらは今でも残ります。しかし、8世紀にイスラム勢力によって支配されるようになると、地震が発生し、多くの建造物が崩壊し、9世紀以降はこの地は放棄されました。20世紀初頭になると、イスラム第三の宗派と呼ばれるドゥルーズ派の住民と遊牧民がこの地で暮らすようになり、現在は遺跡のある小さな集落でもあります。
ウンム・アル=ジマルはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ウンム・アル=ジマルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ウンム・アル=ジマルの遺跡は保存状態がよく、農業や畜産業を行い、キャラバンによる交易を組み合わせて繁栄した文化的景観が現在でも見られます。遺跡にはナバテア語やギリシャ語、ラテン語の碑文が多く発見されていて、キリスト教会やモスクを中心とした共同体の環境がそのまま残されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ウンム・アル=ジマルは、ナバテア人の時代からイスラム教時代まで人々が暮らし、保存状態が良いのが特徴ではあるものの、住民たちが外部からの支配を受けつつも、その生活文化を継承しつつ、暮らしてきた証拠が残っているという点で評価されています。
ちなみに、近郊にあるマフラクは「交差点」を意味していて、ここはヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカスを結ぶ経由地でもありました。そして、ここにはシリアからサウジアラビアの聖地メディナまでを結ぶヒジャーズ鉄道の駅があり、近代においてはこちらのほうが重要度が高く、現在の人口は5万人ほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。