フィリピンの世界遺産「ビガン歴史都市」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1999年

首都マニラから約400kmにあるビガンは、16世紀後半に建設されたスペイン時代の都市。ここは外観はスペイン風なのに内部は伝統的な建築様式という家屋「バハイ・ナ・バト」が今でも並び、当時の様子を色濃く残しています。

ここではビガン歴史都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ビガン歴史都市について詳しくなること間違いなし!

目次

ビガン歴史都市とは?

ビガン歴史都市
画像素材:shutterstock

ビガンは、ルソン島の北部にある港町。16世紀後半にスペインの植民都市として、中国やメキシコとの交易で繁栄しました。ここはスペインの伝統的な都市設計と同じく碁盤の目のようになっていて、2つの広場や大司教の宮殿、市庁舎、議事堂なども配置され、合計で233の歴史的建造物が残り、現在もスペインの植民地時代の名残が見られます。

石畳の通りには、2階建ての建造物が並んでいて、これらはほとんどが18世紀半〜19世紀後半に建造されたもの。外観はスペイン風ではあるものの、伝統的な中国やフィリピンの建築様式を連想させ、1階は店舗やオフィス、倉庫となっていて、2階が居住区という構造。これらは石と木を組み合わせたていることから、タガログ語で「バハイ・ナ・バト(石の家)」と呼ばれています。

ビガン歴史都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ビガン歴史都市
画像素材:shutterstock

ビガン歴史都市が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ビガンは、アジアの伝統的な建築様式とヨーロッパの植民地時代の建築様式の融合が見られるという点。

登録基準(iv)
ビガンは、東アジアと東南アジアに点在していた、ヨーロッパによる植民都市の中でも保存状態が良好であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ビガンは、スペイン統治時代に植民都市として建造されたこともあり、建物の外観や区画はスペイン様式となっているにもかかわらず、邸宅は中国やフィリピンの伝統様式が見られ、現在も保存状態が良いという点で評価されています。

ちなみに、ビガンは太平洋戦争中に一度、崩壊の危機を迎えたことがあります。当時、この街に日本軍が籠城したことでアメリカ軍によって破壊される寸前でしたが、日本軍の中には現地の女性たちと結婚していた兵士がいたものの、ビガンの町並みを守るためにあえて去って街を守ったというエピソードがあり、現地では映画になっています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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