登録区分 | 登録区分 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2009年 |
スイスの北西部に位置するラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルは、建物の向きが統一されるなど、時計製造に特化した独自の都市計画が見られます。これらは19世紀に計画された都市で、手工業から工場生産へと移行した時期を示すもの。『資本論』の作者カール・マルクスはこの町を「巨大な工業都市」として分業を分析したことでも有名。
ここではラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルについて詳しくなること間違いなし!
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画とは?
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルは、スイス北西部のヌーシャテル州に位置する都市。ここはジュラ山脈の麓にあり、農業に向いていない土地だったため、17世紀から時計製造を中心とした独自の都市が築かれました。
ラ・ショー=ド=フォンは、18世紀後期に大火災が発生し、ほとんどの建設物は19世紀に再建したもの。街は時計職人の作業を効率化させるため、居住区とアトリエ地区に分けられて設計され、時計職人のアトリエは建物の最上階にあり、自然光が当たるように建物の向きが統一されているのが特徴。
ラ・ショー=ド=フォン
街としての起源は17世紀。都市が再建されると、19世紀末から20世紀にかけて家内制手工業から工業製手工業への変遷に対応していたため、カール・マルクスは『資本論』で労働の分業を分析する際に、ラ・ショー=ド=フォンについて「巨大な工業都市」として触れているほど。「時計の帝都」と呼ばれ、かつては世界生産の半分をここで製造していたというほどに時計産業に特化した街。
ラ・ショー=ド=フォンは20世紀初頭になると、アール・ヌーヴォー建築が見られる都市になり、美術学校は、この街出身のモダニズム建築家であるル・コルビュジエが学んだことでも知られます。
ル・ロックル
ラ・ショー=ド=フォンの南西約10kmに位置する小さな都市。実はスイスの時計製造の起源というほどに古くから時計産業が盛んな都市でもあります。18世紀にはここで自動巻きの懐中時計が開発されたことで有名。
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルは、18世紀から現在まで時計製造に特化した、ユニークな都市構造となっていて、産業を持続させるため、合理的で持続可能な開発をされてきたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルは、世界でも有名な時計産業の都市。19世紀の都市再建の際に、時計職人が住みよいよう都市を開発したということで、現在もその町並みが残っているという点で評価。
ちなみに、ル・コルビュジエは時計の文字盤職人の家に生まれて、もともとは時計職人になろうとして美術学校に通ったのです。しかし、視力が弱かったため、建築家の道へ。ある意味、彼がここで時計職人にならなかったら、現在の建築法は大きく変わっていたかもですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。