シャルル7世(1403〜1461年)は、フランスの国民的英雄であるジャンル・ダルクを登用し、百年戦争(1337〜1453年)の終盤においてフランスを勝利へ導いた国王。シャルル7世とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はシャルル7世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シャルル7世について具体的に理解できること間違いなし!
シャルル7世とはどんな人物?

1403年にフランス王シャルル6世の息子として生まれるも、父シャルル6世が精神疾患を患い、フランス王国は混乱してしまいます。1418年に当時敵対していたブルゴーニュ派がパリを制圧し、シャルルは王宮を脱出。1420年に「トロワ条約」により、父シャルル6世がイングランド王ヘンリー5世を正式な後継者に指名し、シャルル6世が死亡するとイングランドはヘンリー6世がフランス王と主張したため、彼は王として即位できませんでした。
フランス北部はイングランドが支配したため、実際の領土はロワール川以南のみという厳しい状況でしたが、1429年に「神の啓示を受けた」とされるジャンヌ・ダルクがシャルルに謁見し、彼女を登用しました。その後、オルレアンの戦いで勝利し、勢力を回復。そして、シャルル7世はランス大聖堂で正式に戴冠しました。1430年にジャンヌは捕らえられますが、シャルル7世は彼女を救おうとしませんでした。
その後、パリを奪還。徐々にイングランドの勢力を追い詰め、1453年にイングランド軍に決定的勝利を収め、百年戦争が実質的に終結しました。百年戦争後には、フランス王国を再建したものの、晩年は息子(後のルイ11世)との対立に悩まされます。1461年に病により58歳で死去。
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アンボワーズ城/フランス



フランス中部アンドル=エ=ロワール県にあるアンボワーズ城。ここは11世紀に城が築かれると何度も拡張を続け、やがてシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世など、ヴァロワ朝時代(1328〜1589年)の歴代の王が居城としました。
15世紀にシャルル7世の居城となると、城はルネサンス様式が取り入れられ、庭園は「フランス式庭園」の始まりにもなったほどに革新的な様式でもありました。
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シノン城/フランス



フランス中部アンドル=エ=ロワール県にあるシノンという街にある城。丘の上に位置していて、12世紀はイングランド王の居城になり、ここはイギリスとフランスの一部を支配したアンジュー帝国の南の中心地となりました。
15世紀にヴァロワ朝のシャルル7世の居城となり、ここはジャンル・ダルクと初めて会った場所としても有名。
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世界遺産マニアの結論と感想
シャルル7世はジャンヌ・ダルクを見捨てたというイメージが強く、優柔不断な人物であったとされ、物語ではどうも悪く描かれがちな王様でもあります。しかし、フランスを百年戦争の勝者へ導いたことは事実であり、フランスの経済を安定させ、中央集権化を進めた名君という側面もありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。