古代エジプトでも女性のファラオは数少ないですが、その中でも第18王朝のハトシェプスト(在位:紀元前1479年頃〜紀元前1458年頃)は女性として歴史上2人目のファラオであり、国内で多くの建造物の建設を指示した人物。ところで、ハトシェプスト女王とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はハトシェプスト女王がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ハトシェプスト女王について具体的に理解できること間違いなし!
ハトシェプスト女王とはどんな人物?その生涯は?

ハトシェプストは、第18王朝(紀元前1570年頃〜紀元前1293年頃)の女王であり、現在確認されている古代エジプトの女性統治者として2番目。彼女は第18王朝4代目のファラオ・トトメス1世の王女であり、異母兄弟であるトトメス2世と結婚するも、トトメス2世が早逝(統治期間についてはさまざまな説がある)したために、後継者であったトトメス3世の摂政となりました。しかし、トトメス3世は幼少であることから、彼女自らファラオとして即位し、22年間も統治。
女性のファラオであったものの、彼女の彫像は伝統的な男性の衣装を着ていることが特徴で、彼女がファラオであった期間は比較的平和であり、繁栄したことから、国内には多くの建造物が築かれました。その後、トトメス3世(在位:紀元前1479年〜紀元前1425年)が即位すると、各地にあった彼女の像や記念碑は破壊され、神殿などに刻まれた王名は削られ「存在しないファラオ」として記録から消されてしまいます。
なぜ抹消したのか、その理由は今でも謎。長らくトトメス3世が彼女から実権を奪ったことを恨んでいたと考えられていましたが、最近では、別に恨みがあったわけではなく、女性君主の即位が慣例化するのを防ぐためという説のほうが有力となってきています。
ハトシェプスト女王の死因とそのミイラはどこ?



ハトシェプストは1458年ころまで在位していたことが分かりますが、それ以降は存在が確認できていません。エジプト中部の王家の谷にあるKV20という岩窟墓では、1903年にツタンカーメンの墓を発掘したハワード・カーターによって2体のミイラが発見。長らく謎でしたが、ミイラの一つが2007年に他の場所で発見されたハトシェプスト女王の奥歯と一致。このミイラの一つがハトシェプスト女王と特定されたのです。
ミイラを調査すると、女王は当時の王族と同じように遺伝性の皮膚炎を患っていて、それを治療するために何かしらの毒性のものを体内に入れたため、何かしらのガンが発症したのではないかとされています。
ハトシェプスト女王にまつわる世界遺産はこちら!
ハトシェプスト女王葬祭殿/エジプト



王家の谷の東にある広大な葬祭殿。「葬祭殿」とは、王墓に隣接して建造され、ファラオの治世を記念した建造物で、死後も崇拝することができるように設計されたもの。中央テラスの南端には女神ハトホルのための神殿があり、北端に位置するアヌビス神殿には、当時の色彩が残っているレリーフもあることでも有名。
詳細はこちら↓



未完成のオベリスク(切りかけのオベリスク)/エジプト



ヌビア地方の玄関口であるアスワンにかつて存在していた採掘場に残されたオベリスク。これはハトシェプストによって依頼されたもので、完成すればおそらく42mにもなったと考えられています。
詳細はこちら↓



世界遺産マニアの結論と感想
ハトシェプスト女王は、夫に先立たれたことでファラオとなった珍しい例でありますが、彼女の時代は国内は安定化し、各地に建造物が築かれるほどでした。そして、次世代へと繋げることはできたものの、彼女の活躍・実績は未来のファラオたちによって奪われることとなり、結果的には「悲劇の女王」かもしれません。しかし、ハトシェプスト女王葬祭殿などはのこされ、後世に歴史家の発見によって彼女の功績は現代では認められています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。